レ有余、でっぷりした赭顔の鼻下にちょび髭を蓄えた堂々たる紳士のネルチンスキイを説得している有様は、まるで書生が大臣をへこましているような快感がありました。
 その話も結着して、川北氏に別れ独りになって甲板を歩いていると、なんとも言えぬ淋しさがこみあげてきて、なに一つできぬ自分がほんとに厭《いや》になった。自分の意気地なさ、だらしなさ、情けなさが身にしみ、自分の影法師《かげぼうし》まで、いやになって、なんにも取縋《とりすが》るものがないのです。星影あわき太平洋、意地のわるい黒い海だった。
※[#二重かっこ開く]花は咲くのになぜ私だけ、二度と春みぬ定めやら※[#二重かっこ閉じ]と音痴《おんち》の歌をくり返しては口ずさみ、薄暗い廊下《ろうか》を歩いてゆくと、向うの端から、仄白くあなたの姿が浮《うか》んできました。亡霊《ぼうれい》のような儚《はか》なさで、あなたはまた誰にか罵《ののし》られたのか、両掌《りょうて》で顔をおおい、泣きじゃくりながら近づいて来るのです。
 ぼくと向きあっても、あなたは覆《おお》っていた掌《て》を放さず肩をふるわせて泣いているのでした。次の瞬間、ぼくは夢中《むちゅう》であなたの肩を叩《たた》き、出来る限りのやさしさを籠《こ》め、「秋ッペさん泣くのはおよしよ。もう横浜が近いんだ」
 すると、あなたは顔から手を放し、子供みたいに、こっくりして領いた。その時の、あなたの瞳《ひとみ》の柔軟《じゅうなん》な美しさは、今も目にあります。「笑って」といったら、ほんとに、あなたはにっこり笑った。
 ぼくには、それだけが精一杯だったのです。
 あの夜、それだけで別れて横浜まで、お逢いしなかった。けれど、あのときの別れが、今日迄も続いている気がします。

     二十六

 その翌日――横浜に着く四日前――ぼくは酒を飲みました。
 前の夜、あなたに言い足りなかった口惜《くや》しさで、珍《めずら》しく朝から晩まで飲んでいました。そのうち酔《よ》っ払《ぱら》ってしまって、船の酒場に入ってくる誰彼《だれかれ》なしを取っ掴《つか》まえては、管《くだ》をまき盃《さかずき》を強《し》いていました。
 日が暮《く》れると、いつの間にかホッケエ部の船室に入りこみ、ウイスキイの瓶《びん》を片手に、時々|喇叭呑《らっぱの》みをやりながら、「レエスに負けたって仕方がねエよ。だけど負けたの
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