、暗いほうへ、ずんずん行って、隅《すみ》に立っていたの。気味がわるかったけれど我慢《がまん》して一緒《いっしょ》に並《なら》んでいると、訳のわからない早口を言って、わたしの顔をみたり、なんにも見えない暗い海をみたりしていましたが、いきなり、私の手をこうして握《にぎ》ったのでしょ。ぞうっとして、急いで、振《ふ》りきって、帰ってきたんです。それだけなの」
それだけの事実が、こんなにも歪曲《わいきょく》され拡大されて伝わって行くとはと、ぼくが訳もなく口惜しがっているあいだに、川北氏は考えを纏《まと》め、しずかに意見を述べだしました。
「だから、熊本君、さっきも言ったように、ネルチンスキイ氏に、なにもそれ程の邪意《じゃい》はなかったのじゃないかな。外国人は、女の手を握ったり、接吻したりするのは平気だから、若《も》しかすると単なる親愛の意味からやったに過ぎないのじゃないかとも思う。しかしそういう処へ、男と二人ッきりでいたという、あなたも賢明《けんめい》じゃなかった。これからは、気をつけるんですね。
けれど、ネルチンスキイ氏にも、一度会って話はしておきましょう。なんでも彼方《あちら》の習慣通りにやられては堪《たま》らない。ぼくが会って、あなたのことも、明瞭《めいりょう》に、あやまらせて置きます」
ぼくはこんなにテキパキあなたに話ができる川北氏が羨《うらやま》しかった。ぼくには、悔恨《かいこん》と憧憬《どうけい》しかない。しかし、この人には理性と実行力があるのだと、尊敬する気持で、ぼくは、ネルチンスキイを捜す、川北氏のあとについて行きました。
折よくプウルの傍の手摺によりかかり、海に唾を吐きちらしているネルチンスキイをみつけると、川北氏は傍に近づき巧《たく》みな英語で話しかけます。ぼくは初めから川北氏に無視された形でしたが、ここでも語学の点で、尚更ひっこんでいなくてはならず、それでもなにかの役に立てばと独りで興奮して、二人の会話を傍観《ぼうかん》していました。
ぼくにはよく解らないながら、川北氏の一言一句はネルチンスキイの肺腑《はいふ》に染《し》み渡《わた》るとみえ、彼はいかにも恐縮《きょうしゅく》した様子で、「I'm sorry.」を繰返《くりかえ》しては頷《うなず》いていました。タイなしのカッタアシャツに灰色の上衣をひっかけた五尺そこそこ無髯《むぜん》の川北氏が、六
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