ある。まだ、当分「さようなら」の一語は日本人に使われ続けるだろう。それだけの内的必然がある。その遣切れぬ哀しさに、ぼくは自分の親しい人たちに「さようなら」してきた追憶を絡ませて、みたかったのだ。ぼく自身が矛盾、前後撞着、相反感情をバラバラに抱き得る、例の生者には不可解な分裂症患者に似た者のひとりの実感は自明の理、殊更、特筆大書する必要はなかったのである。
他の精神病は全て、常人の異常さを量的に多く持っているだけだが、分裂病は質的に違い、普通人に理解もできぬので、この患者を一病理学者は、「すでに生きた屍」と批評している。分裂症ははじめ世の中や他人に無関心になり、自分だけを愛する。それも自分の性器を愛し、次に自分の不潔な排泄物を熱愛する。糞尿さえも外に棄てぬようにし、一度だしたものは宝物みたいに包んで大切に保存する。唾でさえ口中に腐り悪臭が発しても吐きだすまいとする。こうしたフロイドのいう黄金崇拝を伴なう小児、動物的生存状態に続いて、植物的生活がやってくる。樹木の枝がひとに曲げられると、そのまま曲がりっぱなしになる如く、この患者も、ひとから腕を曲げられると決して自分で伸ばそうとしない。こ
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