ぼくはリエの思い出も忘れてしまいたい。だが彼女に、「さようなら」するのは、肉親友人たちとの場合より、呆れるほど苦しく、長い努力を必要とすることだった。
「さようなら」(左様ならなくてはならぬ運命である故、お別れします)との哀しい日本語。こうしてぼくは三十七歳の今日まで、幾度か何人かの親しい人たちに、「さようなら」してたのが、そろそろ、ぼく自身、この世に、「さようなら」する順番となったようだ。その方法は必ずしも自殺、出家遁世の形を採らなくてもよい。否、意識的に「さようなら」しなくても、いまのぼくは嘗ての川合がそうだったように、生きながら死んでいるみたいな実感がある。西行、宗祇、芭蕉というより、むしろ彼らの小亜流たちが無常の強さ哀しさ孤独さに支えられ、生きた屍として一生を漂泊した、それが全て全国行脚とか草庵生活ばかりでなく、外見まじめな勤番侍とか逆に、旗本の二男坊の無頼な生活の中にも見出されるのを思う。例えば勝海舟の父、夢酔軒勝太郎左衛門小吉の回想録の美しさも死者の眼で生の世界を眺めている哀しさがあるからだ。
思えばぼくはいつの間にか死んでいる。多病で現実世界の恐怖を避け、ロマンの世界に
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