倒をみる道徳的責任があるとその毎に、ぼくに迫る彼女の自己愛、そうした一切のものに堪えられなくなったのだ。詰り、ぼくはリエにいつか「さようなら」せねばならぬとの実感があった頃は、どうしてもリエに、「さようなら」できなかったのが、反って彼女と、「さようなら」できぬ道徳的義務感みたいなものを自覚するようになると、急いで彼女から、「さようなら」したくなったのだ。
それでぼくはいま、七ツの長女と共に、リエのもとから、「さようなら」してすでに半月ばかりになる。昔、リエと別れる道徳的義務感に追われ放浪していた時は、せめてもう一度、リエに逢いたい願いに身をやかれる思いだったのが、いまリエを見棄ててはならぬとの義務感に追われ、七ツの長女と転々放浪している際は、極めて冷たくあっさり、リエに「さようなら」を告げたい。かつて肉親、友人、戦友、中国人たちの惨めな死体に急いで眼をそむけ、決して神の救い、再会の願いなぞ欲せぬ冷淡な、「さようなら」をいってきたように、いまのぼくはリエにも「さようなら」とだけ云い、二度と逢いたくない。かつて親しい人たちの死体をできるだけ早く忘れようと努力し、それに成功した如く、現在の
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