奇蹟でも眺めたように苦しいほど驚いたが、それから一カ月しない中に、二、三日、休んでいた井上が死んだと先生から聞かされ、一層、苦しい驚愕を感じた。井上が死の直前、そのように学業スポオツに頭角を現わしたのが、彼から突然、「さようなら」されてみるとひどく空しい詰らぬことのように思われたのである。
 続いて大学時代。ぼくは川合という文学の友達から肺病で、「さようなら」され、池田という同じ非合法運動の友人には、ぼくたちの恥かしい転向の際、剃刀で彼自ら右手首の動脈を切り温湯につけるという、暴力的方法で、「さようなら」された。順序からいえば池田のほうが先で、学部一年の時だった。池田は良心的なコミニストだったが、ぼくのように大男で、同じように臆病な欠点があった。大男の為ひと一倍、他人の視線を感じキョトキョトするのが、ぼくたちの非合法運動――といっても週に一度、読書会をやり、その席上アカハタを配り金を集め、出席している党のひとにその金を渡す程度――を大袈裟に自覚していたので、余計ひどくなっていたのだ。彼はただ新宿に映画を見た時、眼つきが怪しいとの理由で、駅頭に張っていた特高に掴まった。ポケットに築地の切
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