もなる。社会の批判、子供たちの未来、リエや妻の幸福を考え、できるだけ早くリエに、「さようなら」しようと思えば思うほど、ぼくはリエの肉体が不憫《ふびん》で彼女に緊縛される。眠られぬ夜の苦しさが続き、ぼくはやがてアドルムという強力催眠剤の中毒患者にもなる。
やがて、ぼくの目上の肉親たちが集まり、妻子、リエも入っての親族会議。リエとの別れを強制され、妻子も東京に出てくる。ぼくは理性的にそれを承知したが、感性的には汚された女としてぼくの肉親たちにさえ軽蔑され、ぼくと別れると世界中でひとりぼっちになる、リエの不幸な孤独にあっさり、「さようなら」をいう気にならぬ。「また逢う日まで」との惜別の言葉が、この動乱の日本で許されるなら――。だがぼくと別れ、女ひとりになったリエが、この世の阿鼻叫喚に忽まちまきこまれ、影も姿も消えうせる恐ろしさにぼくは堪えられぬ。別離と忘却はぼくたち人間に共通した宿命なのだが、それだけにぼくは戦争中のあっさりした、数々の「さようなら」が厭で、どこ迄も、「さようなら」をいわずリエと別れなかった。よそ眼には退廃不潔にみえようとも、ぼくにはそんなリエとの別離の予感に、生命を燃焼させるほどの愛欲生活がギリシャの牧童の恋物語を想わせるほど美しくひたむきなものと思われた。ぼくはリエと死ぬ迄、一緒にいたかった。だが、それでいて、ぼくは自分の不幸な四人の子供たちに、とっても「さようなら」をいえる勇気もない。
二つの愛するものの間で引裂かれる苦悩。アドルム中毒。リエも子供たちもふり棄てる為の放浪。ぼくはこの為、精神病院にさえ入った。リエの生命を自分のものとしたい不逞なメチャクチャな願いから、アドルムと酒に酔い、一日、兇器をとりリエの下腹さえ刺した。リエの目にみえぬ心の傷や身体の汚れさえ、できれば拭いさりたいといたわり大切にしてきたぼくが、どうして現実にリエの玉の肌を傷つける愚行を演じたものか。神聖冒涜の近代人の病的な倒錯心理かもしれぬ。春婦の肉体を神聖と思いこんだのも既に倒錯心理とすれば、二重、三重のぼくの偏執や倒錯。
この為、ぼくも警察に約二週間、精神病院に約二カ月ほど入れられる。リエはその間、外科病院に入院し、辛うじて生命を取りとめた。ぼくは兇行時の意識喪失状態に刑法の責任なしと認められ、不起訴になり、リエより約一月早く、精神病院から出られた。その間、ぼくの家庭は
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