完全に解体。妻は派出婦。長男はぼくの姉のもとに、次男と長女はぼくの長兄の家に、三男は妻の姉夫婦に預けられるという惨憺さ。
 処でぼくはそうした妻子に、まだ「さようなら」もいえなければ、自分で傷つけた生活能力を奪ったリエに尚更と「さようなら」もいえない、反ってそれほど愛し憎んだリエに、一生、連れそう義務を感ずる。それで妻と別れ、リエと結婚し、次男と長女をひきとる具体的計画もたて、既に、自分の移動証明をリエのもとに移し、まず七つの長女をリエとの同棲生活に連れてきた。ぼくはそこで、妻と他のふたりの子に、あっさり冷たく「さようなら」をいう積りだった。そしてリエとは義務として死ぬまで一緒にいる積り、「さようなら」をいつまでもいうまいとする。
 すると奇怪なことに、ぼくは始めて妻が自分の為に、その女の一生を台なしにしたと悔まれ、自分の手もとから放すふたりの子供が哀れになり、小鼻を膨らましたリエが七ツの長女に平気で、「お母さん」と呼ばせている無神経さ、ぼくに傷つけられた下腹部からその肉体がまだ恢復せぬのをみせつける如くノロノロ動き、細い首筋をつきだしゆっくり平板な顔を廻してみせる動作、一生、彼女の面倒をみる道徳的責任があるとその毎に、ぼくに迫る彼女の自己愛、そうした一切のものに堪えられなくなったのだ。詰り、ぼくはリエにいつか「さようなら」せねばならぬとの実感があった頃は、どうしてもリエに、「さようなら」できなかったのが、反って彼女と、「さようなら」できぬ道徳的義務感みたいなものを自覚するようになると、急いで彼女から、「さようなら」したくなったのだ。
 それでぼくはいま、七ツの長女と共に、リエのもとから、「さようなら」してすでに半月ばかりになる。昔、リエと別れる道徳的義務感に追われ放浪していた時は、せめてもう一度、リエに逢いたい願いに身をやかれる思いだったのが、いまリエを見棄ててはならぬとの義務感に追われ、七ツの長女と転々放浪している際は、極めて冷たくあっさり、リエに「さようなら」を告げたい。かつて肉親、友人、戦友、中国人たちの惨めな死体に急いで眼をそむけ、決して神の救い、再会の願いなぞ欲せぬ冷淡な、「さようなら」をいってきたように、いまのぼくはリエにも「さようなら」とだけ云い、二度と逢いたくない。かつて親しい人たちの死体をできるだけ早く忘れようと努力し、それに成功した如く、現在の
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