女として尊敬されるようになっていました。女たちは、絶えず彼女を訪ねて来ます。相談をもって来ます。自分たちの間でとか、あるいは男たちを相手にしていさかいが起ると、「そんなことをいったって、キーシュのお母さんはこういっておいでだったよ」ときめつけて、相手をへこますのでした。

  五

 しかし、村の人たちの一番気になることは、何といってもキーシュの不思議な狩の秘密でした。
 そこで寄合の席では、ある晩、長い相談のあとで、キーシュの狩の方法を知るために、彼が狩に出てゆく時に、しのびの者に後をつけさせようということに相談がきまりました。やがて、彼が次の狩に出る時、ビムとバウンという二人の若者が、見つからないようにして彼の後をつけてゆきました。二人とも腕に覚《おぼえ》のある狩人でした。五日たってから、二人は目をまわして帰って来ました。そして、自分たちが見て来たことを話すとき、二人の舌はふるえました。
「皆《みな》の衆《しゅう》! いいつけられた通り、わしらはキーシュのあとをつけていったよ、やつ[#「やつ」に傍点]に気がつかれないようにうまくやってな。はじめの日のひる頃まで歩くとあの子は大きな雄熊《おすぐま》に出会ったのだ。それはとても大きな熊だった」
「あんな大きなのはめったにないよ」
 バウンがそう相鎚《あいづち》をうって、あとを自分で話しつづけました。
「だが熊は向かって来る気はなかった。むきをかえて、氷の上を静かに向こうへいっちまおうとしたんだからな。わしらはこの様子を岸の岩かげから見ていたんだ。熊はわしらの方へやって来る、キーシュはその後へくっついて来るのだが、ちっとも怖がっている様子はない。それどころか、あの子は熊のうしろからとてつもなく大きな声をしてわめき立てるんだ。腕をぐるぐる振りまわして、やたらに騒ぎたてたもんだ。そこで、熊もとうとうおこっちまって、ぬっとあとあしで立ち上《あが》った。ところがキーシュはぐんぐん熊のそばまで歩いてゆくじゃないか」
 あとをビムが引き取りました。
「構《かま》わずそばまで歩いてゆく。そこで熊がキーシュにつかみかかろうとする、するとあの子はすばやく逃げ出した。ところが逃げる時小さな丸い球《たま》を一つ、ぽとりと氷の上に落したものだ。熊は立ちどまってそいつの匂《におい》をかいで、それから、そいつをぐっと呑んじまった。キーシュは逃げ出しちゃア小さな丸い球をおっことす。熊は幾度でもそいつを呑み込んじまうんだ」
 信じられない、おかしな話だという声が一座に起りました。それを聞いていた一人の男は、そんなバカなことがあってたまるものかといい出しました。
「わしらアこの目で見て来たんだ」
 ビムは保証しました。
 するとバウンもすぐ口を添《そ》えました。
「そうだとも、この目で見て来たんだ。で、そいつをつづけているうちに、急に熊がまっすぐに突立《つった》ちあがり、弓のように体をまげて、痛がってうなりたてて、気が変になったようにまえあしを振りまわし始めたもんだ。キーシュは氷の上をすっ飛んで、熊の手が届《とど》かないところまで逃げて、平気な顔でその様子を眺めているんだ。だが熊はもうあの子になんざ、かまっていない、小さな丸い球のために、体の中に起った苦しみで、夢中なんだからね」
 ビムがそこでまた口を出しました。
「そうだ、たしかに体の中だ。自分の体を引っ掻《か》きむしり、ふざけてる小犬のように氷の上を転がりまわるんだからな。うなったりキューキューいったりする様子を見ていると、どうしたってふざけてるんじゃなくて、痛くてたまらないにちがいないんだ。熊があんなに苦しがっているのは全く見たことがないよ!」
「そうだとも、おれだって見たことはないよ。それに、あんな大きな熊だものなア」
 バウンもそう調子を合わせました。
「やっぱり魔法だ」
 一人の男がいいました。
 するとバウンが答えました。
「それは分からない。ただおれはこの目で見ただけのことを話してるんだよ。いいかね、そのうちに熊はくたびれて弱って来た。そりゃそうだろう、ひどく重い体をしているくせに、無茶苦茶に暴《あば》れまわったんだからな。それからやっこさん、頭を右左へふらふらさせたり、時々坐り込んじゃキューキューいってみたり、泣いたりしながら、海っぱたの氷について歩いてゆく。するとキーシュもゆっくりと熊についてゆくんだ。わしらもキーシュのあとへくっついていったのさ。そうやってその日一日と、あと三日のあいだわしらは歩きつづけたもんだ。熊は弱ったけれど、痛さのためになかなか泣きやまなかったよ」
 さっきの男がまた叫びました。
「まじないだ。まじないにちがいない」
「そうかも知れない。だが、まア聞け――」
 そこでまたビムがバウンに代りました。
「熊はうろつきまわっ
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