の観客は大体芝居のセリフ、講談のセリフを聞きつけている人たちだから、『もォーしもォーし』といって奇声を発してやるのがおかしくてしようがない。だが見渡すと、それを笑わないで聞いている一団が三階席にいた。三階席の中央部にいた男女一団の学生達である。私は冷評悪罵にあつまる廊下の見物人をぬけて三階席に上って行った。みんな緊張して見ている。僕はそこへ行って、
『あなた方、これがおもしろいのですか』
と、聞くと、
『三浦さんはこうだ、清水金太郎はこうだ』
と、批評をする。それは音楽学校の生徒であった。私には音楽学校でそういうものを習っているな、ということがわかった。オペラの将来が洋々と展けていることを知った。
もっとも、その前からそのくらいのことは多少知っておったけれども、いよいよ自分が少女歌劇をやり出すについて、これは笑うどころじゃない、みんな必ずついて来るという確信がついた。それからは私はどんどん自分の考えどおり進むことができたものだ。
それはさておき、このようにして、大正二年七月、宝塚唱歌隊第一期生として、左の十六名の少女達が採用されたのであった。
高峰妙子 雄山艶子 外山咲
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