ので、私らが行くあるお茶屋へ、芸妓の見習として出て来た。私らは、
『こりゃベッピンだ』とにらんで、いろいろ聞いてみると、『芝居が一番好きだ』と言う。
『芝居が好きなのに舞妓になったってしようがないよ。ひとつ宝塚へ入ったらどうか。』
と勧誘した。
 そのうちに舞妓の方はやめて、宝塚の試験を受けに来た。そして一時、宝塚へ入ったが、やっぱり芝居が好きで、その方に進みたいらしく、あやめが池の右太衛門(先代)プロに入り、一時右太衛門と結婚するような話もあったが、右太衛門が亡くなったので、今度は大江美智子一座というのをつくって、ひところ華やかにやっていたが、宇部かどこかの楽屋で盲腸炎を患って死んでしまった。これは先代の大江美智子のことで、お父さんが新派の役者だった。
 鶴万亀子という娘もまじめ過ぎるくらいまじめで、もっと舞台の方に進んでいたら、あるいは映画にでも出ていたら、大したものになっていたろうが、一介のサラリーマンのところへ嫁にいってしまった。今でも子供をおんぶして同窓会に顔を出す。
 秋田露子は北海道大学の理学博士の奥さんにもらわれて、子供が六人――男が四人、女が二人――あって、総領は三十 
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