は子供の趣味に適したお伽のようなものもよかろうし、歴史噺のようなものもよかろうが、次第次第に歩みを進めて、彼のワグネル等の試みたような大作を演ずる大オペラ団の出現するようになって欲しいものだ。歌劇に就いての研究家等も、昨今では、先ず先ず喜歌劇ぐらいから社会に広めて行くのが今の場合適度だろうと論じて居るような折柄だから、愛らしいこんな少女歌劇団も賛成されるに違いない。(後略)
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さて、大正七年五月には東京の帝劇へ出て、帝劇へはそれから毎年行くようになった。この東京公演についての批評は、劇界に対する当時の事情を知ることができるので、次に掲げてみよう。
日本歌劇の曙光
[#地から1字上げ]小山内薫
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『宝塚の少女歌劇とかいうものが来ますね。あなた大阪で御覧になった事がおありですか。』
『ええ、あります。二三度見ました。』
『どうです。評判ほど面白いものなのですか。』
『さあ面白いというのにも、ずい分種類がありますから、私の面白いと言うのと、あなたの面白いと言うのとでは、意味が違うかもしれませんが、私は確かに面白いと思いました。』
『人間はいくら大人になってもどこかに子供らしい感情を持っているものです。あなたの今面白いとおっしゃったのは、その子供らしい感情からですか。あるいは、大人らしい感情からですか。』
『どっちの感情からも面白いと思ったのです。私は子供にもなり、大人にもなって喜んだのです。それはドイツのフンバアヂングが始めたメルヒェンオパアというようなものなのですね。』
『そんな立派なものですか。』
『いや勿論そんな立派なものじゃありません。併しやがてはそういう所へまで進むのではないかと思われます。宝塚の少女歌劇はフンバアヂングのしたように、日本人に――殊に日本の子供にポピュラアな曲を取り入れる事を第一の出発点にしているようです。それから日本の詞として歌わせるように注意しているようです。近頃浅草の六区などでオペラと称しているものを聞くと日本の詞が伊太利語として歌われたり、仏蘭西語として発音されたりしています。尤もあれらは原曲が向うのものだからやむを得ないという口実もありましょうが、それにしても日本の詞の音楽を余りに無視したしかただと思っています。そこへ来ると宝塚の少女歌劇は立派に日本語を日本語として歌っています
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