ふ声の下より、十歳|許《ばかり》の小児、「伯父さん私に頂戴」と乞ふ。「なァに食べられないことは無いよ。肉《み》が少し柔いが……。」と、之を外し与ふれば、小児は裾に包み、一走《ひたはし》りに走り去れり。
此の男、又一本釣り挙げしが、「型が気に喰はぬ」とて、亦《また》、傍《かたわら》に見物せる男に与へたり。普通の釣師は、三日四日の辛抱にて、「跳ッ返り」一本挙げてさへ、尺璧《せきへき》の喜びにて、幾たびか魚籃《びく》の内を覗き愛賞《あいしょう》措《お》かざるに、尺余の鯉を、吝気《おしげ》もなく与へて、だぼ沙魚《はぜ》一|疋《ぴき》程にも思はざるは、西行法師の洒脱にも似たる贅沢無慾の釣師かなと感じき。聴けば、一人にて、七八本を貰ひたる者も少からずといふ。
鯉の当り年か
歩を移し、対ふ岸に立ちて観ける内、目の前なる老人、其の隣りなる釣り手に向ひ「随分の釣手《つりて》だね。釣堀も、此位に繁昌すれば大|中《あた》りだが」と言ひけるに、「此れだけの大|中《あた》りを占められたら、開業二三日で破産しませうよ。其処《そこ》な小僧奴なんざ、朝から十六七本挙げやがッたから、慥《たし》かに三四円の働き
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