は為《し》てますわ」とて、指させる小僧を見れば、膝きりのシャツ一枚着たる、十二三歳の少年なりし。想ふに、此の界隈の家々、此処二三日の総菜《そうざい》ものは鯉づくめの料理なりしなるべし。彼《か》のお鯉御前は、大臣のお目に留り、氏《うじ》無《な》くして玉の馬車に乗り、此の公園の鯉は、罪無くして弥次馬の錆鈎《さびはり》に懸り、貧民窟のチャブ台を賑はす。真に今歳は、鯉の当り年なるかななど、詰《つま》らぬ空想を馳せて見物す。
放生池の小亀
たとひ自らは、竿を執らざるにせよ、快き気もせざれば、間もなく此処を去りしが、観音堂手前に到りて、亦《また》一の狼籍《ろうぜき》たる様を目撃せり。即ち、淡島《あわしま》さま前なる小池は、田圃に於ける掻堀《かいぼり》同様、泥まみれの老若入り乱れてこね廻し居けり。されば、常に、水の面《めん》、石の上に、群を成して遊べる放生《ほうじょう》の石亀《いしかめ》は、絶えて其の影だに無く、今争ひ捜せる人々も、目的は石亀に在りしや明《あきらか》なりし。中には、「捕ても構《かめ》えねいだが、捕りたくも亀は居ねいのだ」など高笑ひの声も聴ゆ。
三時過ぎ、家《うち》に帰りける
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