ばんてん》、盲縞《めくらじま》の股引したる連中多く、むさぐるしき白髪の老翁の、手細工に花漆をかけたという風の、竹帽子を被れるも見え、子供も三四分一は居たりしならん。獲物の獲物だけに、普通の小魚籃《こびく》にては、役に立たざる為めか、或は、一時の酔興に過ぎざる為めか、魚籃の用意あるは少かりし。たヾ、二尺五六寸有らんかと思はれし、棕櫚縄《しゅろなわ》つきの生担《いけたご》を、座右に備へし男も有りしが、これ等は、一時の出来心とも言ひ難く、罪深き部類の一人なりしなるべし。
万歳の声
平日、焼麩《やきふ》一つ投ずれば、折重りて群れを成し、※[#「口+僉」、第4水準2−4−39]※[#「口+禺」、第3水準1−15−9]《けんぐう》の集団を波際に形作る程に飼ひ馴らせる鯉なれば、之を釣り挙ぐるに、術も手練も要すべき筈なく、岩丈《がんじょう》の仕掛にて、力ッこに挙げさへすれば、寝子《ねこ》も赤子《しゃくし》も釣り得べきなり。目の前なる、三十歳近くの、蕎麦屋の出前持らしき風体《ふうてい》の男、水際にて引きつ引かれつ相闘ひし上、二尺|許《ばかり》のを一本挙げたりしが、観衆|忽《たちま》ち百雷の轟く如き声して「万歳」を叫べり。
続きて、対ふ岸にて又一本挙げしが、又「万歳」の声起れり。一本を挙ぐる毎に、この歓声を放つ例なるべしと思ひき。
この衆《おお》き釣師、見物人の外に、一種異りたる者の奔走するを見る。長柄《ながえ》の玉網《たま》を手にし、釣り上ぐる者を見る毎《ごと》に、即ち馳せて其の人に近寄り、抄《すく》ひて手伝ふを仕事とする、奇特者《きとくしゃ》? なり。狂態も是《ここ》に至りて極まれり。
釣師の偵察隊
彼方《かなた》此方《こなた》にて、一本を挙ぐる毎に「万歳」の叫びを聴きしが、此時、誰の口よりか「来た/\」といふ声響く。一同は、竿を挙げて故《ことさ》らに他方を向き、相知らざる様を粧ひたり。何事ぞと思ひしに、巡査の来れるなりし。偵察隊より「巡査見ゆ」との信号を受け、一時釣を休めしものと知られたり。さて其の過ぎ行くに及び、又|忽《たちま》ち池を取り囲みて鈎《はり》をおろせしは、前の如し。哨兵《しょうへい》つきの釣とは、一生に再び見ること能はざるべし。
間も無く、「万歳」声裡《せいり》に、又一本を挙げたる者ありしが、少しも喜べる色なく、「何だ緋鯉か。誰にかやらう」といふ声の下より、十歳|許《ばかり》の小児、「伯父さん私に頂戴」と乞ふ。「なァに食べられないことは無いよ。肉《み》が少し柔いが……。」と、之を外し与ふれば、小児は裾に包み、一走《ひたはし》りに走り去れり。
此の男、又一本釣り挙げしが、「型が気に喰はぬ」とて、亦《また》、傍《かたわら》に見物せる男に与へたり。普通の釣師は、三日四日の辛抱にて、「跳ッ返り」一本挙げてさへ、尺璧《せきへき》の喜びにて、幾たびか魚籃《びく》の内を覗き愛賞《あいしょう》措《お》かざるに、尺余の鯉を、吝気《おしげ》もなく与へて、だぼ沙魚《はぜ》一|疋《ぴき》程にも思はざるは、西行法師の洒脱にも似たる贅沢無慾の釣師かなと感じき。聴けば、一人にて、七八本を貰ひたる者も少からずといふ。
鯉の当り年か
歩を移し、対ふ岸に立ちて観ける内、目の前なる老人、其の隣りなる釣り手に向ひ「随分の釣手《つりて》だね。釣堀も、此位に繁昌すれば大|中《あた》りだが」と言ひけるに、「此れだけの大|中《あた》りを占められたら、開業二三日で破産しませうよ。其処《そこ》な小僧奴なんざ、朝から十六七本挙げやがッたから、慥《たし》かに三四円の働きは為《し》てますわ」とて、指させる小僧を見れば、膝きりのシャツ一枚着たる、十二三歳の少年なりし。想ふに、此の界隈の家々、此処二三日の総菜《そうざい》ものは鯉づくめの料理なりしなるべし。彼《か》のお鯉御前は、大臣のお目に留り、氏《うじ》無《な》くして玉の馬車に乗り、此の公園の鯉は、罪無くして弥次馬の錆鈎《さびはり》に懸り、貧民窟のチャブ台を賑はす。真に今歳は、鯉の当り年なるかななど、詰《つま》らぬ空想を馳せて見物す。
放生池の小亀
たとひ自らは、竿を執らざるにせよ、快き気もせざれば、間もなく此処を去りしが、観音堂手前に到りて、亦《また》一の狼籍《ろうぜき》たる様を目撃せり。即ち、淡島《あわしま》さま前なる小池は、田圃に於ける掻堀《かいぼり》同様、泥まみれの老若入り乱れてこね廻し居けり。されば、常に、水の面《めん》、石の上に、群を成して遊べる放生《ほうじょう》の石亀《いしかめ》は、絶えて其の影だに無く、今争ひ捜せる人々も、目的は石亀に在りしや明《あきらか》なりし。中には、「捕ても構《かめ》えねいだが、捕りたくも亀は居ねいのだ」など高笑ひの声も聴ゆ。
三時過ぎ、家《うち》に帰りける
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石井 研堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング