るは受合ひなり。あゝ元日でさへ無くば往きたし。この一日千金の好日和を、新年……旧年……相変らず……などの、鸚鵡《おうむ》返しに暮すは勿体無し。今日往きし人も必ず多からん。今頃は嘸《さぞ》面白く釣り挙げ居つらん。軒に出せし国旗の竿の、釣竿の面影あるも思の種なり。紙鳶挙ぐる子供の、風の神弱し、大風吹けよと、謡ふも心憎しなど、窓に倚りて想ひを碧潭《へきたん》の孤舟《こしゅう》に騁《は》せ、眼に銀鱗の飛躍を夢み、寸時恍惚たり。
やゝありて始めて我に返り、思ふまじ思ふまじ、近処の手前も有り、三ヶ日丈け辛抱する例は、自ら創《はじ》めしものなるを、今更破るも悪しゝ。其代り、四日の初釣には、暗きより出でゝ思ふまゝ遊ばん。併《しか》し、此天気、四日まで続くべきや。若し今夜にも雨雪[#「雨雪」に傍点]など降りて水冷えきらば、当分暫くは望みなし。殊に、明日の潮は朝底りの筈なれば、こゝ二三日は、実に好き潮なり。好機は得離く失ひ易し、天気の変らざる内、明日にも出でゝ念《おもい》を霽《は》らし、年頭の回礼は、三日四日に繰送らんか。綱引の腕車《くるま》を勢よく奔《はし》らせ、宿処ブツクを繰り返しながら、年始の回礼に勉むる人は、詮《せん》ずる所、鼻の下を養はん為めなるべし。彼れ悪事ならずば、心を養ふ此れ亦、元日なりとて、二日なりとて、誰に遠慮気兼すべき。さなり/\、往かう/\と、同しきことを黙想す。
されども、想ひ返しては又心弱く、誰と誰とは必ず二日に来るかた仁《じん》にて、衣服に綺羅を飾らざれども、心の誠は赤し。殊に、故《ことさ》ら改らずして、平日の積る話を語り合ふも亦一興なり。然るを、予《われ》の留守にて、空《むな》しく還すはつれ無し。世上、年に一度の釣をも為《せ》ぬ人多し。一日二日の辛抱何か有らん。是非四日まで辛抱せんかと、兎《と》さま角《こう》さま思ひ煩ひし上句《あげく》、終に四日の方に勝たれ、力無く障子を立て、又元の座に直りぬ。
一便毎に配達受けし、「恭賀新年」の葉書は、机上に溜りて数十百枚になりぬ。賀客の絶間に、返事書きて出さんかと、一枚づゝ繰り返し見つ。中には、暮の二十九日に届きしを先鋒として、三十日三十一日に届きしも有り。或は、旧年より、熱海の何々館に旅行中と、石版に摺りたるにて、麹町局の消印鮮かに見ゆるあり。或は新年の御題《ぎょだい》を、所謂《いわゆる》ヌーボー流に描き、五
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