つたのだ。
二
私はロシアに来た幾週間もしないうちに、ペトログラドで一番いゝ第一の学校を訪ねる機会を持つ事が出来た。それは、ポカザテルナヤ・シユコラ即ち模範学校と呼ばれて、文字通りの『見世物学校』だつた。私はずつと後まで、其の意味を捉《つか》む事が出来なかつた。其の学校は、ホテル・ド・ルウロオプの中にあつた。それは、広々とした室《へや》や、綺麗な枝形燈架や、贅沢な家具などと共に、往時の雅致をまだ多分に残してゐる場所だつた。
一九二〇年の冬、ペトログラアドの燃料の欠乏は、殆んど其の全人口を涸らすばかりにひどかつた。で、出来るだけ僅《わず》かの宅の中に子供等を詰め込む事が必要だつた。が、子供達は綺麗に、よく世話されて、気楽さうにしてゐた。子供達は平均六つから十三までゝ、営養もよく、丈夫さうに見えて、満足さうだつた。受持の医者が、私を案内してきれいな料理鍋で輝いてゐる炊事場までも含めて見せてくれ、いろんな事の詳細な説明をしてくれた。
其の学校は、子供の集散する中心のやうに使はれてゐた。子供達は、ロシアのあらゆる方面から、どんな僻遠の地方からでも、其処に連れられて来た。彼等
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