トび醒ますものである。それは家庭に於けるが如くその個人として又社会としての事業中に現はれたる他人の人格に対する恋愛を意味するものである。それは又人生の目的に関する永遠の疑問に現はるると同時に歓楽の際にも現はるる人格の尊敬をも意味するのである。かくの如きことを知らざる男女は到底人格的恋愛のなにものなるかを覗ふ事をすら許されざる人々である。かくの如き恋愛に浸れる人は自己の感情以外に何物をも省みるが如きことなかるべしと考ふるが如き人は真にかくの如き人を解せざる人である。人は徹頭徹尾それに由つて生活し又存在せるものに関して最も少なく語り又考へるものである。健康なる人は自からの健全なることに関して語らず、無邪気なる人は自己の無邪気に関して語らない。
 然しながらその健康と無邪気とが自から其人を通じて語り、或は考へる。
 人格的恋愛がその力を発揮することを許され、ラスキンが国民の真の富と呼んだ多くの健全にして充実せる幸福な人間が創造せられる時は、人生に横はる最大なる根本的矛盾の一つなる男女間の矛盾を調和せしむることが出来るであらう。其の時は又一般の期望は開展せられ様々の痛ましき矛盾は調和せられ人道
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