当然要求せらるべきすべての社会的譲歩のうち、最も根本的なるものは父母たるの道が結婚の儀式によるにあらずして、彼等の子供に対する責任を明かに進んで認むる二個の男女の意志によつて定められなければならないと云ふことである。又、第二に主張せらるべき社会的譲歩は離婚が配偶者の一方の意志によつて決定せられなければならないといふこと、而して男女が結婚上の権利に於て同等でなければならないと云ふことである。
 それ故、社会は従来の如く夫と妻とが如何なる逆境にもせよ単に共同生活を持続して行き、而して如何程不完全にもせよ彼等の子供を養育して行くならばそれを以て満足してゐたのである、かくの如き間は新しき義務の観念が生の向上を助けるであらう。何故なればこれ等の新しき原則は幸福と結合せられたる義務、権利と結合せられたる責任の組織的成長に対するあらゆる先要条件を有すると同時に日々に一般の勢力を有せんとしつつある全ての宗教、道徳、経済上の理想と権利義務、幸福、責任の組織的結合に対しても又先要条件を有してゐるのである。更らに又、これ等の諸原則はその適応が人間精神の協力並びに風習の一般化に必要なる程度に於て今日と雖も現状態に適応されることが出来る。かくして低級なる人々は高級の人々によつて教育せらるるであらう。
 一般社会に於ても又個人の場合に於ても、全ての新しき形式を通じて充分なる力の発揮を試み、豊富なる変化を与へ、同時に完全なる結合を呼び起す企ては常に進化の過程に一歩を進める事を意味するのである。若しも社会にして全ての子供を同様に保護し個人をして彼等の恋愛を保護することを許したなら現在二つの異なれる方向に放射しつつある精神的生活の勢力は更らに焦点に集められるであらう。子供の根本的生活に対する責任の感情は正出といふ俗論に依て弱められ、子供の養育に対する責任の感情は私生といふ俗見に依て又弱められる。
 恋愛を更らに向上せしむるの努力は即《や》がて恋愛が生命を得、幸福を与ふる衝動となるのである。この衝動の停止は直ちに恋愛の死となるのである――離婚の自由によつて現在の結婚制度が終りを告ぐると同時にこの努力は無限の力をもつて猛進するであらう。
 屡々駁論に於て例証せらるる如く自由結婚に於ても恋愛の死するといふ事は事実である。然しこれは自由離婚によつて実現せらるる美はしき恋愛の可能を否定する何物をも証拠立
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