うと、再び法水が現われた。そして、検事と獣のような顔で、睨み合っている老尼に慇懃な口調で云った。
「御安心下さい。智凡尼の偏見が、これですっかり解けましたよ。支倉君、やはり浄善は、発見した際には死んでいたのだ」と一冊の書物を卓子《テーブル》の上に置いて、「貴女が蒐められた書籍の中に、大変参考になるものがありましたよ。これは、ロップス・セントジョンの『ウエビ地方の野猟』なんです」
「それで、何か?」
「その中に斯う云う記述があるのです。――予の湖畔に於ける狩猟中に、朝食のため土人の一人が未明|羚羊《かもしか》猟をせり。然るに、クラーレ毒矢にて射倒したる一匹を、捕獲したる鬣狗《ハイエナ》の檻際へ置けるに、全身動かず死したりと思いし羚羊の眼が、俄かに瞳孔を動かし恐怖の色を現わしたり――と。ねえ支倉君、浄善は最初に、微量のクラーリンを塗った矢針で斃されたんだよ。つまり、羚羊と同じに、運動神経が痲痺して動けなくなったまでの事で、その眼は凝然《じいっ》と、怖ろしい殺人模様を眺めていたんだ」
「冗談じゃない」検事は此処ぞと一矢酬いた。「一体、何処に外傷があるんだ」
「それが、襟足にある短かい髪の毛の
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