れていないのでも判るのだった。また、それ以外には擦り傷一つなかったのである。
「こりゃ酷い!」法水が辛《や》っと出たような声で、「軟骨が滅茶滅茶になっているばかりじゃない、頸椎骨に脱臼まで起っているぜ。どうして、吾々には想像も付かぬような、恐ろしい力じゃないか。だが、決してこれは、固い重量のある物体を載せた跡じゃない。紛れもない人間の指をかけた跡なんだよ」と云ってから検事を振り向いて、「所で支倉君、この屍体の死因には、到底正確な定義は附けられんと思うね。成程、皮下出血や腫張があって、扼殺の形跡は歴然たるものなんだ。所が、一方不思議な事には、窒息死に必ずなくてはならぬ痙攣の跡がない。そして抵抗した形跡もなく、此の通り平和な顔をして死んでいるんだ。おまけに、推摩居士の行衣にある瓢箪形の血痕と、浄善の襟に散っている二つを比較してみると、片方は血漿が黄色く滲み出ていてあの形を作っている。所が、この屍体になると、それが全く見られないのだ。つまり、その一事から推しても、推摩居士から、浄善に及ぶまでの間と云うのが、決して直後とは云われない時間だった事が証明されるだろう。然し、そうなると、そこに当然新
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