義足を要する肢のどの部分が、足蹠《あしうら》のように体重を負担するか、その点を是非知っていて貰いたいのだ。で、推摩居士にはそれが何処にあるかと云うと、現に義足を見れば判る通りで、腓骨の中央で切断されている擂木の端にはなく、却って、膝蓋骨の下の腓骨の最上部にある。そして、それ以下の擂木は、義足の中でブラブラ遊んでいるのだ。つまり、足蹠《あし》の作用をするものの所在が、非常に重大な点なのであって、無論犯人は、その部分に刺戟を与えたのだったよ。それは云う迄もなく、正気ならば、膝蓋骨を下につけて歩くに違いない。けれども、夢中裡の歩行では、永い間の習慣からして、体重をかけていた腓骨の最上部を床に触れ、それを足蹠の意識にした直立の感覚で歩くのが当然なんだ。恐らく、さぞや重心を無視した滑稽な歩き方をした事だろうがね。然し義足を外した推摩居士には、それが一番自然な状態なんだよ。そうすると、推摩居士の足は栄養が衰えていて、目立った羸痩《るいそう》を示しているのだから、当然、その部分の菱形を中心にして、三稜形をした骨端と、膝蓋骨の下端に当る部分とが合したもの――それが、てっきり孔雀の趾跡のように見えはしないだろうか。そして、礼盤から離れて行った跡が、恰度前方から孔雀が歩んで来た跡に符合したと云う訳なんだよ」
「ああ」検事は溜らなく汗を拭いて、「だが、どうして推摩居士は三階へ上って行ったんだ?」
 法水は卓上の一書をパラパラとめくって、最後に指で押えた頁を検事に突き付けた。
「支倉君、君はヒステリー患者の五官のうちで、何が一番最後に残るか――、それが視覚だと云う事を知っているかね。また、その中でも赤色だけは、発作中でさえも微弱に残っているのだ。勿論、巫術[#「巫術」は底本では「※[#「一/坐」、204−下−15]術」]などでは、巧《たくみ》な扮飾を施して、それを恐ろしい鬼面に捏《で》っち上げるのだが、現在僕の手に、それを証明する恰好な文献があるのだ。とにかく、その件りを読んでみよう。――(一九一六年十月、メッツ予備病院に於いてドユッセンドルフ驃騎兵聯隊附軍医ハンス・シュタムラアの報告)余の実験は、該患者に先登症状なる震顫を目撃せしに始まる。まず円筒形の色彩板を持ち出して、それを紫より緩く廻転を始めたるに、最終の赤色に至りて、同人は突如立ち上り、その赤色を凝視しつつ色彩板の周囲を歩み始めたり。此処に於いて、余は新規の実験を思い出し、同人の面前に赤色の布を掲げて、銃器を両壁に並べし通路の中に導き入れたり。然るに、その際興味ある現象を目撃せりと云うは、余が屡《しばしば》赤布を側《かたわら》の壁際へ寄せたるに、同人もまたそれに応じて、埋もれんばかりに身体《からだ》を片寄せるかと思えば、また銃器に触れると、同時に身体を離し、その儘静止する事もありき。その現象は数回に渉り同一の実験を繰返して、結局確実なるを確かめたり。即ち、全身に斑点状の知覚あるためにして、その部分が銃器に触れたる際には、横捻が起らざりしものと云うべし)――」
 読み終ると、法水は椅子を前に進め、徐《おもむろ》に莨に火を点じてから、云い続けた。
「所で支倉君、そこに推摩居士を導いたものと、もう一つ、傷跡に梵字の形を残したものがあったのだ。勿論、犯人が、赤色の灯を使って、推摩居士を導いた事は云う迄もないだろう。そして、三階の階段口にある突出床から、下に方形の孔を開いている玉幡の中へ落し込んだのだ。また、それ以前に犯人は、繍仏の指の先に、隠現自在な鉤形をした兇器を嵌め込んで置いたのだが、その兇器は、その場限りで消え失せてしまったのだよ。で、最初まず、如何にして梵字形の傷跡が出来たか――それを説明しよう。一口に云えば、最初に向き合った二つの鉤が、推摩居士の腰部に突き刺り、それが筋肉を抉り切ってしまうと、続いて二度目の墜落が始まって、それまで血を嘗めていなかった残り二つの鉤が、今度は両の腕に突っ刺ったのだ。つまり、そこには到底信ぜられない、廻転がなければならない。けれども、それは勿論外力を加えたものではなくて、その自転の原因と云うのは、推摩居士の身体に現われた、斑点様の知覚にある事なんだよ。最初腰に刺さった二本がどうなったかと云うと、体重が加わって筋肉を上方に引裂いて行くうちに、左右のどっちかが、知覚のある斑点の部分に触れたのだ。そうすると、当然その部分に触れる度毎に、それから遠ざかろうとして身体を捻るだろうから、偶然そうして描かれて行った梵字様の痕跡が、左右寸分の狂いもなく、符合してしまったのだよ。つまり一口に云えば、推摩居士の自転が、轆轤の役を勤めたと云う事になるのだけれど、最後に筋肉をかき切って支柱が外れた際――その時、捻った余力で直角に廻転して墜落したのだった。そして、その肩口をハッシと受け止
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