る。そこに横たわっている尼僧の屍体も玉幡も経机も、すべて金泥の花弁に埋もれていて、散り敷いた数百の小片からは、紫磨七宝の光明が放たれているのだ。ああ、まさにこれこそ、観無量寿経や宝積経に謳われている、阿弥陀仏の極楽世界なのであろうか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
 階上は階下と同様無装飾の室だった。階段を上り切った右手の壁には、鉄格子を嵌めた小窓が一つあって、残り三方は得斎塗りの黒壁で囲まれていた。また、降り口の突き当りには、もう一つ階段が作られているのだが、それは屋根裏の三階に続いているものであって、その部分だけが切り込まれ、右側には、壁に添うた突出床が出来ている。と云うのは、三階の床が、所謂神馬厩作りだからである。従って、そこの床寄り約四分の一ばかりの間が、長方形に切り取られているので、振り仰ぐと上層の暗がりの中に、巨大な竜体のような梁が、朧げに光って見えるのだった。さて法水は、散り敷かれている金泥の小片を、一々手に取って調べたけれども、表面に血痕が附着しているのも、またしていないのもあって、その二様のものが雑然と入り乱れている始末なので、最早血痕の原型を回復する事は不可能に違いないのだった。けれども、打ち倒れている四流の玉幡を見ると、それが、ところどころ僅か許り、金泥の斑点を残しているままで、殆んど赤裸に引ん剥かれ、曼陀羅の干茎が露き出しになっている。それからだけでも、この無数の片々が、以前玉幡の衣だった事は明らかであるけれども、一方、金泥の上には踏んだ跡がなく、曼陀羅の肌にも掻傷一つないと云う始末だった。一体、金泥は如何なる方法に依って剥ぎ取られ、そして散華が起されたのだろうか!
 法水は、金泥を一個所に掻き集めて、調査を始めた。床には血の点々が僅か残っているだけであったが、此処で、階上の室内に於ける配置を云うと……、中央には、階下から眺めた通りに格子形の嵌戸が切ってあって、その後方には、膝蓋骨の下部にビッタリ付くように作られてある、推摩居士の義足が二本並んでいた。前方には、竹帙形に編んだ礼盤が二座、その左端に火焔太鼓が一基、その根元に笙が一つ転がっている。二つの礼盤の中央には、五鈷鈴や経文を載せた経机が据えられ、右の座の端には、古渡りらしい油時計が置かれてあった。それは、目盛の附いた、円鐘形の硝子筒の中に油を充たして、中部の油が、長柄の端にある口芯まで
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