流れて行き、その点火に伴う油の減量に依って、時を知る仕掛なのである。が、その時は既に灯は消え、不思議な事に目盛は二時を指していた。そして、礼盤の突当りに掲げてある、「五秘密曼陀羅」の一幅を記せば、配置の説明の全部が終るのである。
尼僧浄善の屍体は、両眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》き、階段の方を頭に足首を礼盤の上に載せて、四肢を稍はだけ気味に伸ばしたまま仰向けに横たわっていた。三十恰好で大して美しくはないけれども、その平和な死顔には、静思とでも云いたい、厳かなものが漂っているように思われた。それに、未だ硬直がなく、体温も微かに残っていたけれども、何より、二つの驚くべき跡が印されてあったのだ。その一つは四肢の妙な部分に索痕があると云う事で、各々上膊部の中央と、膝蓋骨から二寸許り上の大腿部に残されていた。それから次は、更に異様なものであって、咽喉から両耳の下にかけて、そこを扼したように見える、四本の華奢な指股様の跡が深く喰い入っていて、それが二筋宛並んで印されてあった。しかも、その四つが同時に行われたと云う事は、一つの血痕の上に各々の端が載っていて、そこが少しも乱れていないのでも判るのだった。また、それ以外には擦り傷一つなかったのである。
「こりゃ酷い!」法水が辛《や》っと出たような声で、「軟骨が滅茶滅茶になっているばかりじゃない、頸椎骨に脱臼まで起っているぜ。どうして、吾々には想像も付かぬような、恐ろしい力じゃないか。だが、決してこれは、固い重量のある物体を載せた跡じゃない。紛れもない人間の指をかけた跡なんだよ」と云ってから検事を振り向いて、「所で支倉君、この屍体の死因には、到底正確な定義は附けられんと思うね。成程、皮下出血や腫張があって、扼殺の形跡は歴然たるものなんだ。所が、一方不思議な事には、窒息死に必ずなくてはならぬ痙攣の跡がない。そして抵抗した形跡もなく、此の通り平和な顔をして死んでいるんだ。おまけに、推摩居士の行衣にある瓢箪形の血痕と、浄善の襟に散っている二つを比較してみると、片方は血漿が黄色く滲み出ていてあの形を作っている。所が、この屍体になると、それが全く見られないのだ。つまり、その一事から推しても、推摩居士から、浄善に及ぶまでの間と云うのが、決して直後とは云われない時間だった事が証明されるだろう。然し、そうなると、そこに当然新
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