ろうか。
(ひょっとしたら……)
これで、もしや何事か分るのではないか――末起も胸を躍らせ、しげしげと注意するようになった。お祖母さまに、ながい闇が裂かれ、光があらわれた……。と思ったのも数度のあとは糠喜びにおわるのだった。
祖母が、涙をため瞬くまいとする、痛ましさは分っても単一なために、なにを訴え、なにを報らせようとするのかそれが分らない。しまいには、末起もがっかりしてしまい、それからは、思いついた以外には、格別見るようなこともなかった。
と、ある日――。はじめてお祖母さんのそれが、具象的なものに打衝《ぶっつ》かった。
それは、母が生前見ていた婦人雑誌を、末起がなに気なくひろげたときだった。口絵には、数頁にわたって髷型の写真があり、なかに、いちばん母にうつった毛巻の丸髷があった。不祝儀のとき、華奢で、すらりとした痩形の母は、かえって初々してそれは浄らかに黒ずくめのなかで、霊体のように見えるのだ。それには、末起でさえも渇仰をおぼえ、いまでも、母といえばその姿がうかんでくる。
が、気がつくと……祖母の※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]らかれた眼が前方の窓硝子にうつっている。瞬かない、眼にはいっぱいに涙がたまり、見てよ、はやく末起と、叫びそうなものが無音のうちに拡がってくる。
「これ、お祖母さま?」
訊いたとき、眼は精根尽きたか閉じられてしまった。涙は頬を濡らして滂沱と流れ、拭かれるとまた※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]らき、おなじことをくりかえすのだった。
たしかに、祖母がこの写真に、要求しているものがある※[#感嘆符疑問符、1−8−78] しかし、それが母への追憶だけとすれば、詰まるところは何事でもないわけだ。それから、末起が失望気味ながらページをくるとまたはじまった。
今度は梳き手がひとり背後にいて、荒歯櫛で解きそろえているところだった。してみると、祖母がいまなにごとを訴えているのか――末起にはやっと分ったような気がした。
どうした理由《わけ》か、末起に毛巻の丸髷を結えというのだ。
二、|不思議の国のアリス《アリス・イン・ワンダーランド》
「お祖母さま、これでいいこと……」
その本には、くわしく結いかたが出ていたので、やっと、ながいこと費って、曲りなりにも結いあげた。ところが、下梳きから癖直しをおわって、髷形が出来かかってくると、髣髴と、母の生前の面影がうかんでくる。
争われぬ母子《おやこ》の相似が、老容のなかにかくれていた……。
末起も、結いあげて鏡の顔をみたとき、ふいに、瞼の内側に熱いものを感じた。と、みるみる、写真も髷もいびつに傾いでゆき、ただ視野をふさぐ水紋を見るばかりになった。
(お母さまが、いまお祖母さまの顔のなかに生きている……)
と末起の、心の傷がしくんしくんと疼きはじめる。しかしこれは、ただ末起の感傷に触れたばかりだったか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
その夜――義父《ちち》の謙吉の顔が、夜食の膳でちがっていた。
「末起、お前かね? お祖母さまに、あの髷を結わせたのは……」
「いいえ」
「だけど、お祖母さまは作りもののような人なんだよ。むろん、書けも喋りも出来んのだから、通じるはずはないし……。誰だね、とき……霜やかね? 末起は、誰が髪結いを連れてきたか知ってるだろうが」
末起は、ちょっとの間、窺うように黙っていた。義父は……お祖母さまのいいつけではないという。それは、お祖母さまの眼を知らぬ以上、決して無理ではないのだ。では、あのことを打ち明けようかしら……となると、末起もさすがに惑わざるを得なかった。
義父の謙吉は血の関係もあって、末起には淡々たるものであった。とくに、親しみを寄せるというようなこともなく、といって、継子らしく扱うようなこともなく、母の死後も生前とは少しも変っていない。一貫して、つかず離れずで、世間体というだけの男だった。
それだけに、はじめて祖母の意思が通じたということは、これまで、なんの関心もなかった人だけに、さすがにいい兼ねた。というより、なんで祖母の髪が気になるのか、末起には問いかえしたいくらいだ。母の面影が、いちばんよくうつった毛巻の丸髷から、あの皺のなかから髣髴と浮きでている。それが、心を刺したのでなければ、なんで義父が――と思うと、末起も反抗気味になってきて、
「あれは、お父さま、私が結ったのです。霜やも、ときやも、誰も知りませんの」
「なに、お前がか……」
謙吉は、盃を手にしたまま、じっと末起を見つめはじめた。しかし、すぐに思い当ったとみえ、ぐっと和らいだ顔になった。
「いけないね末起、想いだすのもいいが、あんなことはいかんよ。なるほど、お母さまとお祖母さまとは親子なんだから、あの髷を、結ったらそりゃ似るだろ
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