う。だが、お祖母さまはなにをした方だ。いけません、ああなって刑をうけるより、より以上の苦しみをなされている。その方に、わざわざ想い出させ苦しめるようなもんだ。末起、おまえはお祖母さんを、そんなに憎いかね」
「あたし……どうして、そんなこと」
末起は思わぬ方向から謙吉に解釈され、ただ狼狽え、釈明を急かれてしまった。それまでは、少女に似合わぬ尖鋭さがあったけれど、そして淡いながら、義父の謙吉に疑惑を感じたのだったけれど……。
「あれは父さま、お祖母さまがそうしろと仰言ったんですわ」
「なに、お祖母さまが……」
とたんに、謙吉の頬がぴりっと顫えた。血の気が、唇から爪先までもなくなり、いいだしたのも、よほど経ってからだった。
「では、お祖母さまが、どうしたというのだね。口が、自由になったのか、指か……」
「いいえ」
「では、どうなったのだ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
末起に、もしそのとき裕りがあったならば、義父の混乱や狼狽のさまを、ことに、そうでないといわれて溶け弛んだときを、心の鏡のように見て取れたろう。しかし、末起に説明をされると、また旧のように謙吉は静かになった。
「そうか、じゃ自由にさせるさ。お祖母さまが、いいだしたのではなくお前がしたのなら、私はさっそくにも止めさせようと思ったよ」
しかし、それから二、三日経って学校からもどると、祖母の居間で異様な情景を見せられてしまった。義父が、祖母の正面に立ちはだかって、じっと相手を見入っている。
それには、きょうこそ究めるぞといった底重さがあり、祖母は、いつもの無表情で、うけ付けぬような静けさである。しかし瞳には、これまで見たこともない異様な閃きがあった。まったく、そこだけが刳り抜かれ、業そのもののような生気が皺の波からほとばしっている。冷視、憎悪、侮蔑、嘲笑――そういった色が読みとれるような、また、謙吉の罵りに義憤を感じたのか、いずれにしろ、その情景には平常《ただ》ならぬものがあった。
しかし謙吉は、末起をみると、慌てたように離れてしまった。そして摺れちがいに、扉際のところでぐいと肩をつかみ、
「ねえ末起、今日は何日だろう?」
「十七日ですわ」
「そうだ、月はちがっても、お母さまの命日だ。おれは、いつもは抑えているが、この日には出来なくなる」
謙吉の生活もたしかに暗いものだった。いまも、眼は霑い悲しみの色が、たしかに、祖母への憎悪より度強《どぎつ》いことがわかる。末起も、それを見るとあれほど固かった、信念がぐらぐらに揺ぎだしてくるのだ。
しかし祖母の眼は、孫娘をみると和らぎと愛に、一度は、渇いてかさかさになったのが濡れはじめすうっと頬を伝わる。もう末起は、疑惑の深さに耐えられなくなってしまった。お祖母さまの、頬に自分の頬を摺りつけて、冷たい、濡れたうえをすうっと走る、涙に自分が泣いているのがわかった。
「ようお祖母さま、いまお義父さまはなんて仰言ったの」
末起は、あいだを置いてぐいと呼吸をのんだが、どっちにも、瞬きを止めるあの感動をあらわしたに過ぎなかった。末起はそれをみて、万策尽きたように感じた。このまま、永遠に鎖の音を聴き、解けぬままにどこまでも引き摺られるのだろう。
が、そのとき、祖母の眼が正面にある、何かの上に、ぴたりと据えられているのに気がついた。瞬かぬ……なにか、末起に訴えようとしている。
「なあに、お祖母さま。これ……じゃ、これ?」
するとお祖母さまは、暖爐の袖にかけてある鍵を取りあげたとき、きゅうに、瞬きをやめるあの感動をあらわした。その鍵は、母が殺されたとき、密室の証明となったもので、それ以来この部屋では忘れられてしまったものである。してみると、いま末起と二人で寝るこの部屋の扉を、お祖母さまは、鎖じよというのだろうか。ことに、さっきは義父とのあいだにああした情景があり、直後なだけに、末起は慄っとするようなものを感じた。
末起は、ひろい空のしたで、まったくの孤独だった。いとしい、お姉さまの方子は療養所に奪われ、疑惑と、暗雲のなかでやっと息ついていた。
ところが、それから一年後のことであった。末起の家は、新邸の進行中だったけれど、ふと、義父が下手人だということに疑いを感ずるようになった。それは、あさ起きて鏡に向ったとき、小鬢の毛が幅にして四、五分ほど切られているのに気が付いた。
(誰だろう……)
と思うと、脊筋のへんが、慄っと冷たくなるような気がした。二つの……魂を凍らすようなものが末起にぞくぞくと這いかかっているのだ。
(あの時もそうだ。ちょうどお母さまが殺される一月ほどまえ、やはり、髪の毛を寝ている間に切られたことがあった。そのときは別に気にもしなかったけど、考えると、その一月後にはお母さまが殺されている。そして、今度は……)
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