脂《あぶら》で、前歯に軽く触《さわ》ると、時江はその一点の斑《まだら》にさえ、自分の裸身を見るような驚異を感じた。それが秘密な部分にある黒子《ほくろ》みたいで、ちょっと指先で持ち上げたいような、可笑《おか》しさはあったけれども、やがてその黒い斑点が拡がりゆくにつれて、時江はハッハッと獣のような息を吐きはじめ、腰から上をもじもじ廻しはじめた。のみならず、一本芯の洋燈《ランプ》は仄暗いけれども、その光が、額から頬にかけて流れている所は、キメをいっそう細やかに見せていた。もう時江は、自分自身でさえも、その媚《なま》めいた空気に魅せられてしまって、鉄漿《かね》をつける小指の動きを、どうにも止めようがなくなってしまった。しかし、滝人の眼から見ると、そこには魔法のような不思議な変化が現われていったのである。
と云うのは、白と灰色とで段だらにした格子の間を、真黒に塗り潰してしまうと、その灰色がまったく白ちゃけてしまうのであるが、この場合も、それと同じ色彩の対比であろうか。皓歯《しらは》の輝きが一つ一つ消え行くにつれて、それに取って代った天鵞絨《びろうど》のような斑《まだら》が、みるみる顔一面に滲み
前へ
次へ
全120ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング