なく、申せば、顔の影と明るみから、対照の差を奪ってしまうからなのでございましょう。ですから、いわゆる豊頬《ふくらじし》という顔相は、皮膚の陰影が、よりも濃い、鉄漿に吸収されて生れてくるのです。しかし、私が思いきって、それを時江さんに要求いたしますと、あの方は、手渡しされた早鉄漿《はやがね》(鉄漿を松脂に溶いた舞台専用のもの、したがって拭えばすぐに落ちるのである。)の壺を、その黷ナ取り落してしまい、激しく肩を揺すって、さめざめと泣き入るのでございます。またそうなると、私の激情はなお増しつのっていって、いきなりその肩を抱きしめて、揉《も》み砕いてしまいたくなるような、まったく浅間《あさま》しい限りの、欲念一途のものと化してしまうのでした。で、それからというものは、私自身でさえ、身内に生えはじめてきた肉情の芽が、はっきりと感じられてきて、いつかの貴方と同様に、時江さんの身体まで、独り占めにしたい欲望が擡《もた》がってまいりました。あの雪毛のような白い肉体が、腐敗の酵母となって、私の心をぐんぐん腐らせていったのです。そのためですかしら、私の身体の廻《ぐる》りには、それから蠅や虻《あぶ》などが、
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