のほうが、ほんとうにどんなにか……」
 と或る場合に対する異常な決意を仄《ほのめ》かせて、滝人はきっと唇を噛んだ。しかし、その硬さが急に解《ほぐ》れていって、彼女の眼にキラリと紅《あか》い光が瞬《またた》いた。すると、鼻翼《こばな》が卑しそうに蠢《うごめ》いて、その欲情めいた衝動が、渦のような波動を巻いて、全身に拡がっていった。
「そして貴方、時江だけが、家族の中でただ一人、微妙な痛々しい存在になっているのです。もうあの人には、本体がなくなっていて、ただ影を落した、泉の中の姿だけが生きているようなのです。その娘は、冷たい清らかな熱のない顔付きをしていて、少しでも水の面を動かそうものなら、たちまちどこかへ消えてでもしまいそうな、弱々しさがございます。それですから、お母さまにはいつものように邪慳《じゃけん》で、我儘《わがまま》のきりをいたしますけれども、自分が受けようとする感動には、きまって億劫《おっくう》そうに、自分から目を瞑《つむ》っては避けてしまうのです。ええようく、私にはそれが判っておりますの。あの人は、兄の十四郎の荒々しさを怖れると同じように、やはり私の眼も――。いいえ私だって、
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