重鏡玉像《マルティブル・レンズ・イメージ》とかいうようで、よく折に触れて経験することですが、眼に涙が一杯に溜ると、そのために、美しいものでも歪んで見え、またこよなく醜いものが、端正な線や塊に化してしまうことがあるのです。現に、伊太利《イタリー》の十八世紀小説の中にですが、凸凹《でこぼこ》の鏡玉《レンズ》を透して癩患者を眺めたとき、それが窈窕《ようちょう》たる美人に化したという話もあるとおりで……。また、忌隈《いみぐま》という芝居の古譚などもございまして、一つの面明《つらあか》りで、ちがった隈取《くまどり》をした二つの顔を照らす場合には、よほど隈の形や、色を吟味しておかないと、えてして複視を起しやすい遠目の観客には、それが重なりあったとき、悪くすると、声でも立てられるような、不気味なものに見えるそうなのです。事実私には、その現象が心理的に現われてきて、あの二つの顔を思い泛べていると、いつのまにか、その二つが重なり合ってしまうのです。そうすると、おそらく偶然に、その陰陽が符合しているせいでしょうか、それがのっぺら[#「のっぺら」に傍点]とした、まるで中古の女形《おやま》のような、優顔《やさ
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