、一種奇蹟的な力強さでもって、あの悪病の兆《きざし》にもめげず、絶えず去勢しようと狙ってくる、自然力とも壮烈に闘っていて、いぜん害われぬ理性の力を保ちつづけていた。それには、何か異常な原因がなくてはならぬであろう。事実滝人には、一つの大きな疑惑があって、それには、彼女が一生を賭《と》してまでもと思い、片時《かたとき》も忘れ去ることのない、ひたむきな偏執が注がれていた。そして、絶えずその神秘の中に分けて入ってゆくような蠢惑《こわく》を感じていて、その一片でも征服するごとに、いつも勝ち誇ったような、気持になるのが常であった。しかし、その疑惑の渦が、しだいと拡がるにつれて、やがては、悪病も孤独も――寂寥も何もかも、この地峡におけるいっさいのものが、妙に不安定な、一つの空気を作り上げてしまうのだった。
一、二つの変貌と人瘤
八月十六日――その日は、早朝からこの地峡の上層を、真白な薄雲が一面に覆うているので、空気は少しも微《ゆる》がう[#底本のまま]とはせず、それは肢体に浸み渡らんばかりの蒸し暑さだった。それでも正午頃になると、八ヶ岳の裾の方から雲が割れてきて、弾左谿《だんざだに》の上空
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