なにか、探偵小説的な詭計《からくり》を作り、またどんなにか、怒号したにしても、あの音色《ねいろ》だけは、けっして殺害されることはないと信じている。ただ惜しむらくは、音域が余りに高かったようにも思われるし、終末近くになって、結尾の反響が、呟くがごとく聴えてくる――といったような見事な和声法は、作者自身|動悸《どうき》を感じながら、ついになし得なかったのである。
 私は、この一篇を、着想といい譜本に意識しながら、書き続けたものだが、前半は昨年の十二月十六日に完成し、後半には、それから十日余りも費やさねばならなかった。それゆえ読者諸君は、女主人公滝人の絶望には、真黒な三十二音符を……、また、力と挑戦の吐露には、急流のような、三連音符を想像して頂きたいと思う。
 なお、本篇の上梓について、江戸川・甲賀・水谷の三氏から、推薦文を頂いたことと、松野さんが、貧弱な内容を覆うべく、あまりに豪華な装幀をもってせられたことに、感謝しておきたいと思う。
一九三五年四月
世田ケ谷の寓居にて
著者


 序、騎西一家の流刑地

 秩父《ちちぶ》町から志賀坂峠を越えて、上州神ヶ原の宿《しゅく》に出ると、街を貫いて
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