たしかに、人と植物の立場が転倒しているからであろう。いや、ただ単に、その人達を喚起するばかりではなかった。わけても、その原野の正確な擬人化というのが、鬼猪殃々《おにやえもぐら》の奇態をきわめた生活のなかにあったのである。
あの鬼草は、逞《たくま》しい意欲に充ち満ちていて、それはさすがに、草原の王者と云うに適《ふさ》わしいばかりでなく、その力もまた衰えを知らず、いっかな飽《あ》くことのない、兇暴|一途《いちず》なものであった。が、ここに不思議なことと云うのは、それに意志の力が高まり欲求が漲《みなぎ》ってくると、かえって、貌《かたち》のうえでは、変容が現われてゆくのである。そして不断に物懶《ものう》いガサガサした音を発していて、その皮には、幾条かの思案げな皺《しわ》が刻まれてゆき、しだいに呻《うめ》き悩みながら、あの鬼草は奇形化されてしまうのであった。
明らかに、それは一種の病的変化であろう。また、そのような植物妖異の世界が、この世のどこにあり得ようと思われるだろうが、しかし、騎西|滝人《たきと》の心理に影像をつくってみれば、その二つがピタリと頂鏡像のように符合してしまうのである。まったく、その照応の神秘には、頭脳が分析する余裕などはとうていなく、ただただ怖れとも駭《おどろ》きともつかぬ異様な情緒を覚えるばかりであった。けれども、それがこの一篇では、けっして白蟻の歯音を形象化しているのではない。たしかに、一つの特異な色彩とは云えるけれども、しかし土台の底深くに潜んでいて蜂窩《はちす》のように蝕《むしば》み歩き、やがては思いもつかぬ、自壊作用を起させようとするあの悪虫の力は、おそらく真昼よりも黄昏《たそがれ》――色彩よりも、色合い《ニュアンス》の怖ろしさではないだろうか。
しかし、作者はここで筆を換えて、騎西一家とこの地峡に関する概述的な記述を急ぎ、この序篇を終りたいと思うのである。事実、晩春から仲秋にかけては、その原野の奥が孤島に等しかった。その期間中には、一つしかない小径が隙間なく塞がれてしまうので、交通などは真実思いもよらず、ただただ見渡すかぎりを、陰々たる焔《ほのお》が包んでしまうのだ。しかし、もう一段眺望を高めると、その沈んだ色彩の周縁《ぐるり》が、コロナのような輝きを帯びていて、そこから視野のあらんかぎりを、明るい緑が涯もなく押し拡がってゆく。地峡は、草
前へ
次へ
全60ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング