絶対に火山はない。あるいは、その底には奇怪な住民がいて……というのがますます奇想をつのらせる、「大地軸孔《カラ・ジルナガン》」の怪魔焔の謎。
「いずれは、僕より上等な探検家がでる[#「でる」は底本では「できる」]だろうからね。そのとき、その先生に『大地軸孔』を降りてもらう。下せど下せど綱は底触れず、頭上の裂罅も一線とほそまり――なんていうのが、地下鉄《チューブ》売りの赤本《ほん》にあるよ」
最後に、折竹は淋《さび》しそうに笑い、その日の会見はそれまでになった。人々が去ったあとのがらんとしたなかで、暫く彼は物思いにふけっていた。やがて、ベルを押して部屋付女中を呼び、
「君、昨日あのザチという婦人は、来なかったかね」
「いらっしゃいませんわ。でも随分、あの方変った服装をしていらっしゃいますわね。|顔隠し《チャードル》をしたり皮鞋《サンダル》をはいたり……やはりあの方は近東の方でしょうね」
「そうらしい」
と、折竹は憮然とうなずいた。彼にいま、そのザチという婦人が、頻々《ひんぴん》と訪れてくる。氏素姓も知れず国籍もわからぬが、姿顔といい気高さに充ち、どこか近付き難いところのある四十|恰好《かっこう》の婦人だと――一度|顔隠し《チャードル》をのぞいた部屋付女中がいうのである。
もちろん、彼はその女には逢わない。こんな、近東人らしい婦人と接近などした日には、ますます彼の周囲には厳戒が加えられ、厭な日々が続かなくてはならないからだ。実際「大地軸孔」参加発表以来の英官辺の神経は、びりびり彼にも響いてくるほど、鋭いものになっている。第一、彼に接近するものは給仕人をはじめ、残らずそれを機会に変えられたような始末。そんな情勢のなかでその婦人と会ったなら、ますます此方のほうで事を構えるようなもんだと、――彼はザチという婦人を極力避けていたのだ。
すると、そのザチが痺《しび》れをきらしたように、つい二、三日まえ手紙を寄越したのである。それをみたとき、まるで悪夢裡のような言いようのない驚き、また同時に、もしもこれが芝居ならと思っても、奥底知れない怪婦人ザチの正体を、どうにも彼は見破ることができないのだ。さて、その手紙は次のようなものである。
魔境の土をまもるため、お願いがございます。どうか「大地軸孔」のしたの平和な民どもの、静かな生活をお乱しくださいませんように。私たちは、じぶんの土を護るため、侵入者をふせぐため……ある必要な手段をとるに先立って、一応お願いいたします。
いま、血をみずにすみますことは貴方さまのご一存で、「大地軸孔」ゆきをお止めになることですわ。これは、貴方さまのため、私どものため、ぜひ枉《ま》げても、お聴き入れねがいたいと存じます。
[#地から2字上げ]地底の女、ザチより
晦冥国《キンメリア》大油層
魔境からの女、やはり「大地軸孔」のしたには住民がいるのか。暗黒中の生活はどういうものだろう、どんな文明をもち、どういう衣食住をし、あの一生陽の目をみない大暗谷[#「大暗谷」は底本では「大暗黒」]にいるのか※[#疑問符感嘆符、1−8−77] と、まだ夢を追うような醒めやらぬ気持のなかで、折竹はつくねんと考えていたのだ。
しかし気が付くと、どうやらこれが眉唾《まゆつば》のもののようにも思われてくる。「大地軸孔」のしたの晦冥《かいめい》国の女なんて、どうもこりゃ芝居がすぎるようだ。きっと、その女を躍らしている闇の手があるのだろう。と、思うが見当も付かない。結局、ザチのことは半信半疑に過ぎてゆくのだった。とその時、部屋付女中が窺《うかが》うような目をして、
「あの方を、ほんとに旦那さまは、ご存知ないのですか」
「知らんねえ、一向イランやあの辺の人には、近付きがないからね」
「そう、じゃ私、勘違いしてたのかしら……」
「どんな事だ」
「じつは、私、こう考えていたんですの。どこか、近東の古いお寺から、旦那さまが宝物をお盗みになった。その跡を蹤《つ》けてはるばるあの方が、『月長石《ムーン・ストーン》』のように追ってきたんじゃないかしら……。宝物を返せ、さもなくば殺してしまうぞ――って、いま、旦那さまは嚇されてるんじゃない※[#疑問符感嘆符、1−8−77] ホホホホホホ、お怒りになっちゃあたくし、困りますわ」
こんな冗談から、なにか引きだそうとする部屋付女中の態度も、折竹には不愉快な一つだ。しかし彼は、なぜ「大地軸孔」ゆきを断念したのだろう。こういう、英官辺の厭がらせのためか……それとも真実「大地軸孔」は征服不可能なのか。いや、彼のゆくところ砕けざる魔境はない。では、それはどういう理由《わけ》だろう。
――探検とは、国という砲身のはなつ弾丸なり。
この言葉を、彼は忘れていたわけではないけれど、いまロンドンにいてイギリス人
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