る。季節風《モンスーン》前によくあるクッキリと晴れた日で、氷河の空洞のほんのりとした水色や森のように林立する氷の塔のくぼみが……美麗な緑色を灯したところは灯籠《とうろう》のように美しい。それも絶えず欠け、しきりなく打衝《ぶつか》りあい……氷河としたら激流にひとしい不思議さで、人よ、渡るなかれと示しているのだ。
オフシェンコは、真面目そうな、寡黙《かもく》な男だ。しかし、その日はめずらしく口数が多く、折竹になにかと話しかけてくる。
「その、ザチという婦人のことは、じつにいいですね。大盲谷にさえ入れれば、お遇いになれるでしょう」
「サア、『大地軸孔』の近傍くらいじゃ、どうかしら……。広いよ、とにかく『大盲谷』は両大陸にまたがっている。それも今までは、伝説にすぎなかったんだ」
「楽しみですね。しかし、僕のはただ任務だけですから」
「じゃ君は、何処までも行くのか」
「そうですとも。国から与えられたものを、疑うようなことはしません」
セルカークの、英人らしい徹底的個人主義と、オフシェンコとはじつにいい対照だ。ところが、その数日後に天候が崩《くず》れはじめた。雷が多くなって暗澹《あんたん》たる積雲が、ひゅうひゅう上層風《プリマ》をはらみながら、この渓谷をとざしてくる。雨ちかし、温霧谷《キャム》はその名のとおり大釜がたぎるように、濃霧に充ち、一寸の展望もない。
「この氷河の氷には、石灰分が多い。だから、猛雨があれば氷塔に浸みこんで、あの邪魔ものを、ボロボロにしちまうと思うよ。つまり、氷の石灰分が水に溶けるんだから、あの頑固なやつが軽石みたいになっちまうんだ。で、それが流れるから、平らになる。そこを、僕らが渡ろうという魂胆《こんたん》だ」
そういう、折竹の推測がついに適中した。すごい雨のあった翌朝、一掃された氷塔をみて、三人はわっと歓呼の声をあげたのだ。濃霧《ガス》の暗黒の底から盛りあがる氷の咆哮《ほうこう》を聴きながら、温霧谷《キャム》の化物氷河を渡ったのである。しかしそこで、空中索道をつくるのに一日ほど費やし、それまで黒い骨とばかりみえていた「大地軸孔」の口元へ、立ったのが翌朝のこと。
いよいよ、此処――三人は感極まったような面持だ。のぞくと、まっ黒な中からひやりとした風がのぼってくる。地底の国、アジア、アフリカ両大陸にまたがる想像界の大盲谷が、いま三人によって白日下に
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