隊は二つに割れ、わずかな人夫を残すほか、引き上げることになったのだ。
 そのころは、もう七月にちかく、邪風モンスーンの跫音がくらい雲行から、吹くぞ、薙ぐぞというように、聴えるような気がする。ヒマラヤ・カラコルムに吹きつける、狂暴な西南風《ならい》。大雨、烈風となる最悪の時期に、折竹は速流氷河をわたると言う。
 狂ったか。見す見す死ににゆくような折竹の胸に、あるいはこの狂自然を征服するに足る鬼策が蔵されているのではないか。で、結局のこったのは折竹、セルカーク、それにソ連からの監視者オフシェンコの三人。セルカークは、また言うのである。
「それでだよ。儂も、殺るとか除くとかいうようなことは、この際したくない。一つ、君によく説いてもらって、ヒルトらと一緒に帰そうと思うんだ」
「そうか」
 と折竹は暫く黙っていた。あれ以来、ますます人相にも奸黠《かんかつ》の度を加えてきた、セルカークを憫《あわれ》むようにながめている。ただ、氷河の氷擦が静寂《しじま》を破るなかで……。
「どうだ。たがいに運だけは、無駄にせんように、しようぜ。百億人に一人、千万年に一度、あるかなしかというような、どえらい[#「どえらい」に傍点]もんだから……」
「勝手だ」
 と折竹は吐きだすように、言った。
「大体、僕の計画にしてからが、九分どおりが運なんだ。妙に、度胸がいいのが玉に瑕《きず》かもしらんが、これも千万年に一度、百億人に一人ど偉い馬鹿みたいなのが出たとき、言いだすような事だ。ねえ、まず吾々は九分通り、死ぬだろう」
「脅かしちゃ、いかん」
「いや、すべては渡れてからのことだ。しかし、僕は君よりも、オフシェンコを、尊敬する。ただ任務――とは、偉い!」
 不興気に出てゆくセルカークの向うに、大地軸孔の怪光があがっている。ぶよぶよ動く淡紅の幽霊のように、尖峰を染めだし氷塔をわたり……それも間もなく一瞬の夢のように消えてしまう。そういう時、折竹の胸にはザチのことが泛《うか》んでくる。地底の女王、ムスカットでの別れのときの涙。いまは彼も、懐かしくさえなっている。妨害するというが、そんな様子もない。彼女はいま、なにを思っているのだろう。
 翌日、ヒルト博士らはついに去ってしまった。※[#「釐」の「里」を「牛」にしたもの、第3水準1−87−72]牛《ヤク》をつらねたながい行列を、折竹らは大岸壁のうえからながめてい
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