の生活をみていると、しみじみその言葉が胸うつように響いてくるのだ。いまイギリス人は、わずかを働いて多くをとっている――その、余裕|綽々《しゃくしゃく》ぶりはなにに由来する※[#疑問符感嘆符、1−8−77] インド、濠州《オーストラリア》、南|阿《アフリカ》、カナダ――みな一、二世紀まえの探検の成果だ。
 するとじぶんに、民族の血をとおしてした探検があったろうか。時代がちがうとはいえ最小の効果でも、国にたむける意味の探検があったろうか。文化の貢献者という美名にあこがれて、ただそれだけのために働いていたのではないか。と思うと、泣きたいような気持になる。これまで彼がしたすべての事が、いまは些細な塵《ちり》のようにしか見えなくなったのだ。もう、大地軸孔へ行く気力などはない。
 まして、独逸航空会社《ルフト・ハンザ》は純文化的意味だというけれど、この「大地軸孔」探検はそんなものではないらしい。近東空路を、はるばるアフガニスタンの首府カブールまで伸ばしてきた、独逸航空会社には一層の野心があるのだろう。英ソの緩衝《かんしょう》地帯である「大地軸孔」一帯を精査して、ナチスの楔《くさび》を南新疆にうちこもうというのではないか。また一方、この探検が成功すれば利益を得るものに、対印新攻撃路をにぎれるソ連がある。いずれにしろ、これは他国を益するにすぎない。ご免だ。くだらん英雄になってお先棒に使われるよりは、暫く故国へ帰って、ゆっくりと休もう。と、彼はついに参加を思い止まったのである。
 窓をあけた。近ごろは、こうして窓をあけ往来をながめることが、彼には習慣のようになっている。ザチ――。あの「大地軸孔」の女と称する神秘的な婦人が、もしや彼に会おうとして、うろついていやしないだろうか。会いたくはない。が、どんな婦人だか、一目だけみたい。いまは、彼の脳裡からとり去ることが出来なくなったほど、ザチのことは強烈なものになっている。
(事実、「大地軸孔」のしたには、住民がいるのだろうか。いや、あの女はまやかし者にちがいない。じぶんに、「大地軸孔」攻撃の興味を湧かさせようと、あるいはソ連からでも仕立てられて来たのではないか。G・P・U《リビヤンカ》女――。マア、底を洗えば、そんなところだろうが)
 土を守る、探検を妨害する――なんぞといいながら逆効果をねらい、かえって「大地軸孔」へじぶんを惹きよせようと
前へ 次へ
全23ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング