のぶサンの態度が、それまでのネチネチさを振り落してしまったようなことだ。
「あの女は、寒気に充分な抵抗力がある。なにしろ、馴鹿《となかい》がいるあたりの北カナダへいってさえ、肉襦袢《タイツ》姿で平気でいれる奴だ。しかし、どうも近ごろ様子が変っている」
 さっきもおのぶサンは、なにやら意味ありげなことを呟いた。折竹には分らぬ異常なことを知っているということは、その一事でも察せられなければならぬ。しかし瞬後には、彼はもうおのぶサンのことを考えていない。
「いずれ、フラム号の連中も俺を追ってくるだろう。橇犬の嗅覚は、磁石よりも鋭い。奴らは、前に往った犬の糞尿や凍傷の血の滴りを、なん月後でもちゃんと嗅ぎ分けるから……」
 しかし、この鉄の男は顔色も変えていない。微妙な、ほのめきを投げる深夜の太陽のしたで、とおい、雪崩《なだれ》の音を聴きながら、じっと考えているのだ。周囲の、山巓《さんてん》も氷河もまったく死の世界。人を狂わせる極地特有の孤独のなかで、彼の頭はますます冴えるばかり。
「人間は……いや、あの人種は、ことによったら冬眠ができるのかも知れない。そのほかに『|冥路の国《セル・ミク・シュア
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