「つまり、生きた人間ではないからだ。その、橇をはしらせるエスキモーは、死んだやつなんだ」
「そうだろうよ」と、私はひとり合点をして、頷《うなず》いた。ついに、折竹も語るに落ちたか、魔境中の魔境などと偉そうなことをいうが、やはり結句は、死霊あつまるというエスキモーの迷信|譚《たん》。よしよし日ごろやっつけられる腹癒《はらい》せに今日こそ虐《いじ》めてやれと、私は意地のわるい考えをした。
「なるほど、死んだ人間が橇をはしらせる。じゃそれは、魂なんてものじゃない、本物の死体なんだね」
と参ったかとばかりに言うと、意外なことに、
「そうだ」と折竹が平然というのである。
「死体が橇を駆《か》る。ふわふわと魂がはしらせる幻の橇なんて、そりゃ君みたいな馬鹿文士の書くことだ。あくまで、冷たくなったエスキモー人の死体。どうだ」
私は、しばしは唖然《あぜん》たる思い。すると、折竹がくすくすッと笑いながら、懐《ふところ》から洋書のようなものを取りだした。みると「|グリーンランズの氷河界《ユーベル・グレーランズ・グレッチェルウェルト》」という標題。一八七〇年にグリーンランドの東北岸、マリー・ファルデマー岬
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