え、彼は、別のことを訊きだした。
「時に、クルト君は僕以外のものに、この話をしたことはないかね」
「あります、ただ一人だけです。それは、一昨年父をさがしに、グリーンランドへ行ったのです。その時、あの奇獣の鯨狼《アー・ペラー》をつかまえた。だが、その探検も結局空しくおわり、僕は全財産を摺《す》り結核にまでなって、とうとうこのイースト・サイドへ落ちこんだ。では、なぜ本国へ行かぬかと仰言《おっしゃ》るのですね※[#疑問符感嘆符、1−8−77] それは、あのユダヤ人排斥でとんだ飛ばっちりをうけたからです。
 当時、本国は鼎《かなえ》の湧くような騒ぎ。密告が密告につぎユダヤ人ならぬ僕までが、本国に帰れないことになりました。そうした、困窮のなかを父と面識のある、タマニー区検事長のロングウェル氏に救われました。僕が、こんな汚ないところでも死なないでいるのは、ロングウェルさんのお蔭といっても、いい。むろん、このことは一仍《いちぶ》始終話したのです」
 そのロングウェル氏は、ニューヨーク暗黒街にとれば仇敵のような人物。清廉《せいれん》、誘惑をしりぞけ圧迫を物ともせず、ギャング掃蕩《そうとう》のためには身
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