ジメネスが、一年も費《かか》ってやっとゆけた道を、俺は、ズブズブ沼土を踏みながら十日で往ってしまったよ。つまり、泥沼があれば偶然に避けている、危険個所と危険個所のあいだを千番のかね合いで縫ってゆく――僥倖《ぎょうこう》の線を俺は往けたわけなんだ。
で、『蕨の切り株』をはじめて見た日に、じつに意外なものに俺は出会っちまったんだよ。ちょうど、俺がいるところから四、五十メートルほど先に、ザブッと水をかぶったまま立ちあがったものがある。人だ。さてはジメネスのいうのは嘘ではない。人類の、両棲類ともいう沼底棲息人《インコラ・パルストリス》――。秘境『蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]』とともに数百万年も没していた怪。
それは、藻か襤褸《ぼろ》かわからぬようなものを身につけていて、見れば擬《まぎ》れもなく人間の男だ。胸に大きな拳形の痣《あざ》があって、ほかは、吾々と寸分の違いもない。と、いきなりそいつが片手をあげて、俺をめがけて投げつけたものがある。と思ったとき、もうそいつの姿が水面にはなかったのだ。俺は水棲人のやつがなにを抛ったのだろうと、大蕨《フェート・ジガ
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