まれて、腰骨を蹴られてポンと抛《ほう》りだされるが、これも挙措《きょそ》動作がひじょうな誇張のもとに行われる、南米のラテン型の一つ。おやおや、ここの芸人が一人お払い箱になるらしい。どんな奴だ、さだめし肩をすぼめて悄《しょ》んぼりと出てくるだろうと――多少酔いも手伝った折竹が、そのスーツケースを手にもって、いま現われるかと入口を見守っていたのだ。
 まったく、こうして佇《たたず》んだ数秒間さえなければ、かの怪奇の点では奥アマゾンを凌《しの》ぐといわれる、水棲人《インコラ・パルストリス》のすむあの秘境へはゆかなかったろうに。Esteros de Patino《エステロス・デ・パチニヨ》―すなわち「パチニョの荒湿地」といわれる魔所。
 まもなく、その入口をいっぱいに塞《ふさ》いでしまいそうな、大男が悠然と現われた。舗道へ降りると、ちょっと足もとのあたりを一、二度見廻していたが、すぐ折竹に気がついたらしく、
 「やあ大将《カピトーン》、拾っといてくれたね」
 「番をしてたよ。どうせ、出てけ――を喰わされるようじゃ、だいじな財産《もん》だろう。さあ、たしかにお渡ししたよ」
 しかし、此奴《こいつ》がと思うとじつに意外な気持。猫のように摘みだされた失業芸人とは、およそ想像もされぬ態の人物。肩付きの逞《たくま》しさは閂《かんぬき》のよう、十分弾力を秘めたらしいひき締った手肢《てあし》、身長、肉付き、均斉《きんせい》といい理想的ヘルメス型の、この男には男惚れさえしよう。
 それに、服装《なり》をみればおそろしい古物――どこにもクラブ稼ぎの芸人といったようなところはない。違ったか、渡してしまったしとんだことをしたと、折竹も気になってきて、
 「だが、たしかに君のだね」
 「ハッハッハッハ、大将は聴いてたんだろうが」
 とその男はカラカラと笑うのだ。
 「あの、俺に出てけ出てけといった、キイキイ声の奴な、あれが、ここの支配人でオリヴェイラってんだ。俺は、あのチビ公に腰を折ってだね、どうか御支配人、ながい目で頼む。きっと、今夜から大受けにしてみせると、言ったんだが聴いちゃくれない。もっとも、理屈は向うにあるだろうがね」
 陽気で、早口で、どこをみても、お払い箱早々というような、行き暮れたところがない。顔も、駄々っ子駄々っ子してダグラスそっくり。声まで彼に似て、豪快に響いてくる。
 「俺は、女形《おやま》をやれる軽口師《ガルガーンタ》という触れこみで、つい四日ほどまえ『恋鳩』に雇われた。初舞台――。ご婦人の下着などを取りだして、すっきりと笑わせる。と、行ってくれりゃ何のこたあなかったよ」
 「引っ込め――か」
 「いわれたよ。しかし、ものというのは、とりようだと思う。俺がずぶの素人でいてやかまし屋の『恋鳩』の舞台を、よく三晩も保ったかと思えば、われながら感心するよ」
 「驚いた」と折竹も呆れかえって、
 「君は、軽口師《ガルガーンタ》のガの字も知らんのじゃないか」
 「そうとも、窮すればなんでもするよ。浪人数十回となれば、女中にもなれる」
 そう言って、とっぷり暮れた夜気を一、二回吸い、暫《しばら》く、空の星をつくねんとながめていたが、急に、なにかに気付いたらしく、くるっと振りむいた。彼は、ぜひ大将に話したいことがある。それには、ここじゃ何だから彼方《あっち》でといって、ぐいぐい折竹を急き立てて、向うの小路へ入っていった。
 「なんだね」
 「じつは、大将にこれを見て貰いたい」とポケットからだしたその男の掌には、キラキラ光る粒が二、三粒転がっている。手にとると、まだ磨かれていないダイヤの原石。大きさは、まあ十カラットから二十カラットぐらいだろうが……、それよりも、掘りだしたままの土の手触りが、折竹にはじつに異様であった。彼は、手にとった石をあっさりと返して、
 「君、これは盗《と》ったやつかね。それとも脱税品《コントラバンド》か」
 「マア、言《い》や後のほうだろう。ところで、見受けたところ大将は、日本人《ジャポネーズ》らしい。日本人でも、サントスやサン・パウロにいるならお移民《コロノ》さんだが、リオにおいでのようじゃ大使館だね。まったく、どこの税関でもお関《かま》いなしに通れる、結構なご身分というもんさ。こっちも、そういう御仁《ごじん》相手でなけりゃ話しても無駄だし、また、大将なら乗ってくれるだろう。どうだ、いい値で売るが、いくらに付ける」
 しかしその時、折竹は一つの石をじっと見詰め、じつにブラジル産にしては稀《まれ》ともいいたい、その石の青色に気を奪われていた。小石ならともかくこうした大型良品《ボン》にあって、美麗な瑠璃《るり》色を呈すとは、じつに珍しい。ブラジル産にはけっしてないことである。
 「君、これはブラジルのじゃないね。南阿《アフリカ
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