りますね。しかし、登行には科学的準備が要ります。もちろん、科学的鍛練、経験もものをいいます。僕は、これでも氷河とは十年も暮してますが、あの、『天母生上の雲湖』には赤児のように捻《ひね》られますぜ」
「では、私なんぞには登れぬと仰言るのですね。なるほど、私にはなんの鍛練もない。氷斧《ピッケル》を、どう使うかも知らないし、アルプスの空気も知りません。素人です。僕は、全然の無経験者です」
それには、折竹もダネックも少なからず驚いた。冗談や粋狂でゆける「天母生上の雲湖」ではない。きっとこれは、いい加減なところまで往って引き返したうえ、「わが天母生上の雲湖《ハーモ・サムバ・チョウ》[#ルビは「天母生上の雲湖」にかかる]死闘記」などと空々しいものを発表する、許しがたい売名漢ではないのか。ダネックも、さいしょは彼の競争者として警戒を怠らなかったのが、もう聴くも阿呆《あほ》らしいというような素振りになった。もちろん、そこまでのケルミッシュはいかにもそうであったろうが……。
「ですが、ダネック教授」とケルミッシュが改まったように、言った。
「私は、些《いささ》かながらあの魔境について知っております。
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