スる粒が宿るということは、もっと、大きな大きな感情の昂《たか》まりでなければならぬ。では、なにが折竹をそうさせたかというに……さっき彼が私に話した新援蒋ルートの所在を、木戸が「天母生上の雲湖《ハーモ・サムバ・チョウ》[#ルビは「天母生上の雲湖」にかかる]」をさぐる飛行中に発見したからである。
 揚子江上流の一分流の Zwagri 《ツワグリ》河が、「天母生上の雲湖」とバダジャッカの中間あたりを流れている。絶壁と、氷蝕谷の底を、ジグザグ縫うその流れは、やがて下流三十マイルのあたりで激流がおさまり、みるも淀《よど》んだような深々とした瀞《とろ》になる。そしてその瀞が、断雲ただよう絶壁下を百マイルも続いている。
 ところが一日、木戸がその瀞をゆく見馴れぬかたちの舟をみたのだ。どうも、土地のタングウト土人の樅皮舟《メンヌサ》ともちがう。しかも、それが一つや二つではなく二、三十艘も続いている。で結局、それが英海軍でつかう兼帆艀《ピンネス・バージ》だったのだ。とにかく、チベットを横切り「天母生上の雲湖《ハーモ・サムバ・チョウ》[#ルビは「天母生上の雲湖」にかかる]」を左に見、 Zwagri 《ツワ
前へ 次へ
全53ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング