ゥし、ここには武器もあり爆薬もある! それに、月に一度は連絡機がくる。サヴォイア・マルケッティの大輸送機が、北アフリカ航空《ノルド・アフリカ・アヴィアチオーネ》[#ルビは「北アフリカ航空」にかかる]の線から飛んでくる。倉庫もある、飛行場もあれば格納庫もある。全部、巧妙な迷彩で上空からわからんようになっている」
 探検の一同は、聴いているまにだんだんと蒼《あお》ざめてきた。今宵にも、命がなくなるかもしれぬおそろしい危機が、いま次第に切迫しつつあるのを知ったのである。おそらく、これまでの探検隊に生還者がなかったのも、ここでバイエルタールに殺されたからにちがいない。かほどの、国の興廃にもかかわる大機密を明して、無事に帰すはずはない。カークをはじめ一人も声がなく、喪《ほう》けて死人のようになってしまった。
 ところが、座間一人だけはさすが精神医だけに、ほかの人たちとは観察がちがっていた。バイエルタールの言葉を聞いていると、ときどき他のことを急にいいだすような、意想|奔逸《ほんいつ》とみられるところが少なくない。これは精神病者特有の一徴候なのだ。
 普通の人間でもこんな隔絶境に半月もいたら少々の嘘にも判別《みわけ》がつかなくなるだろう。それが、バイエルタールのは二十と数年――宣教師のでたらめをまことと信ずるのも無理はない。そのうえ、彼はインド大麻で頭脳を痺《しび》らせているのだ。
 けれど今となっては、それがじぶんたちには狂人《きちがい》の刃物も同様。もう、どうあがこうにも……、彼の狂気の犠牲となるより他はなさそうに思われる。
 防虫組織や飛行機などは、いかにも神秘境と背中合せの近代文明という感じだが、ナイルの閉塞、イタリア機の連絡とは、じつに華やかながら実体のない、狂人バイエルタールの極光《オーロラ》のような幻想だ。いやいま、この猿酒宮殿《シュシャア・パラスト》に倨然《きょぜん》といる彼は、そのじつ、悪魔のような牧師の舌上におどらされている、あわれなお人よしの痴愚者なんだと、座間だけはそう信じていたのである。
 やがてドドをまじえた一行五人は小屋に押しこめられた。もっとも、番人もつけられず鍵もおろされない。武器も弾薬も依然として手にある。これはバイエルタールの手抜かりというわけではなく、四か所の石階《いしばし》に厳重な守りがあるからだ。
 アフリカ奥地の夜、山地の冷気が絶望とともに濃くなってゆく。蟇《がま》と蟋蟀《こおろぎ》が鳴くもの憂いなかで、ときどき鬣狗《ハイエナ》がとおい森で吠《ほ》えている。その、森閑の夜がこの世の最後かと思うと、誰一人口をきくものもない。ときどき君が言いだしたばかりにこんな目に逢ったのだと、ヤンが座間を恨めしげに見るだけであった。
 と時が経って暁がたがちかいころ、座間にとっては思いがけぬ事件が降って湧《わ》いた。一見大して奇もないようだったが、重大な意味があった。それはとつぜん、マヌエラが気懶《けだる》そうな声で、なにやら独《ひと》り言のようなものをドイツ語で言いはじめたのであった。
「明日、牝《めす》をのぞいた残りを全部|殺《や》るというんだ。人道的な方法というからには、アカスガの毒を使うだろう」
 驚いたことに、男のような言葉だ。調子も、抑揚がなく朗読のようである。そして、これがなかでもいちばん奇怪なことだが、いまマヌエラが喋《しゃべ》っているドイツ語を、当の本人が少しも知らないのである。知らない外国語を流暢《りゅうちょう》に喋る――そんなことがと、一時は耳を疑いながらまえへ廻って、座間はマヌエラをじっと見つめはじめた。
「マヌエラ、どうしたんだ、確《しっ》かりおし!」
 しかしマヌエラの目は、狂わしげなものを映してぎょろりと据《すわ》っている。ひょっとすると心痛のあまり気が可怪《おか》しくなったのかもしれない。その間も、なおも譫言《うわごと》は続いてゆく。
「逃げやしないかな」
「大丈夫、武器は取りあげてないから、まさかと思っているだろう。第一、石階《いしばし》には番人がいるし……そこを逃げても、マコンデ方面は網目のようだからな」
 こうした気味の悪い独語が杜絶えると、闇の鬼気が、死の刻がせまるなかでマヌエラだけをつつんでしまう。彼女は、ちょっと間を置くとまたはじめた。
「水牛小屋の地下道は分りっこねえんだ。何時だ? 三時だとすりゃ、あと二時間だが」
 一体マヌエラは誰の言葉を真似ているのだろう? 座間は微動だもせず冷静な目で、じっとマヌエラをながめていたが、思わず……この時首をふった。すると、おなじようにマヌエラも首を振る。ハッとした座間が今度は試みに唇をとがらした。とまた、マヌエラがおなじ動作を繰りかえす。とたんに、座間はわッとマヌエラを抱きしめた。やがて、むせび泣きとともに二人の頬の合せ目を、涙
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