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 とカークはびっくりして目をみはって、
「あんまり、唐突《だしぬけ》な話で訳がわからんが」
「それは、こういう訳だ。君ならここを抜けだして人里へゆけるだろう。なまじ、僕ら二人という足手まといがあるばかりに、せっかく、ある命を君が失うことになる。お願いだ。明日、僕らにかまわずここを発《た》ってくれないか」
「そうか」
 としばらくカークは呆《あき》れたように相手をみていたが、
「なるほど、君らを捨ててゆくのはいと容易《やす》いが、しかし、ここに残ってどうするつもりだ」
「悪魔の尿溜へ、僕とマヌエラが踏みいるつもりなんだ」
「なに」
 と、カークもさすがに驚いて、
「じゃ君らは、あの大|陥没地《クレーター》へ身を投げるつもりか……」
「そうだ、初志を貫く。だいたいこれが、僕の因循姑息《いんじゅんこそく》からはじまったことだから、むろん、じぶんが蒔《ま》いた種はじぶんで苅《か》るつもりだよ。マヌエラも、僕と一緒によろこんで死んでくれる。ただ、君だけは友情としても、どうにも僕らの巻添えにはしたくないんだ」
 カークはマヌエラを振り向いた。彼女の目は断念《あきら》めきったあとの澄んだ恍惚さを湛《たた》えて、にんまりと座間をみている。おそらく全人類中のたった二人として、悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]の底を踏んだときの二人の目はあの、ペンも想像も絶するおどろくべき怪奇と、また、恋の墓場としてのうつくしい夢をみるだろう。カークは、言葉を絶ってしばらく考えていた。
 密林は、死んだような黄昏《たそがれ》の闇のなかを、ときどき王蛇《ボア》がとおるゴウッという響きがする。と、とつぜん、カークがポンと膝《ひざ》をうって言った。
「座間、名案があるぞ。僕にそんな莫迦気《ばかげ》たことを、いわないでもすむようになるぞ」
「えっ、なにがあるんだ?」
「それは、この蔦葛のうえを“Kintefwetefwe《キンテフェテフェ》”に利用するんだ」
「…………」
「つまり、コンゴの土語でいう『自然草の橋』という意味だ。ああ、これまでなぜ気がつかなかったんだろう」
 リビングストーンのマヌイエマ探検の部に、その“Kintefwetefwe《キンテフェテフェ》”のことがくわしく記されてある。
 ――マヌイエマ近傍では、川を覆うて生草の橋ができる場合がある。つまり、両岸から
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