謔、にうつくしい。だが座間は、どうしてカークとこんなところへ来たのかじぶんでも分らなかった。
「どうしたい、いやに悄《しょ》んぼりして……。まさか、猫の死骸に念仏をいいにきたんじゃないだろうが」
 カークは、いつもとちがって底気味悪さを湛《たた》えている座間を景気づけるように言った。すると、座間はいきなりふり向いて、
「おい、僕にドドを売っちゃくれまいか」
「えッ、ドドを売れって?![#「?!」は一字]」カークも少からず驚いて、
「なんのためだ。僕の手から買ってどうするつもりだ」
 思わず見上げる座間の眉宇間《びうかん》には、サッと一閃の殺伐の気がかすめてゆく。殺してやる! マヌエラがあの魔性のものに魅込まれたのでなければ、ああも奇怪な二重人格をあらわすわけはない。と、知らず識らず、この入江の腐肉の気にさそわれてきた座間である。
 カークは早くも、それを悟ったと見え改まったような調子で、
「じゃ、その話を真剣にとるがね。すると、まず、売る売らないに先だって、決めておきたいことがある。それは、ドドが獣か人間かということだ。売っていい動物か、売ってはならない人か……サア座間君どっちだろう」
 言われて、座間の咽喉《のど》がぐびっと鳴った。しかし、ちょっと顫《ふる》えただけでなにも言えなかった。
「人身売買……奴隷売買を……いまこの現代に口にする奴があるかね。それとも、ドドを人獣の児として――その場合を君はどう考える? 混血だ、おなじことだよ。ドドが黒猩々《チンパンジー》と人のまざりなら僕は、半黒《ミュラート》、君は三分混血児《テルティオ》だ。僕らが白人以下のものとして蔑視されるのも、君が、半分の獣血をみとめて、ドドを売れというのも……」
 そのカークの言葉を身に滲《し》むように聴きながら、座間はくらい海の滅入るような潮騒《しおさい》とともに、ひそかに咽《むせ》びはじめていたのだ。

       *

 その一夜は寝床のなかで転々としながら、ついにまんじりともしなかった。マヌエラと、ドドの奇怪な行動を考えあぐめばあぐむほど、ますます頭が冴《さ》えて眠れるどころではなかった。
 マヌエラのあれは、「ジキル博士とハイド氏」のように二重人格なのか――と、ますます糸のもつれが深まるなかで、座間は追及の鬼のようになっていた。それとも、ドドに同情を深めすぎた結果か? といって淑女を
前へ 次へ
全46ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング