オてくれますか」
 ちょっと、漁色にすさんだヤンでもふるえた声で言うと、
「ええ、あたしも愛してくれますか」とマヌエラも切なそうに呼吸《いき》をする。
 あのマヌエラ、昼間のマヌエラがなんという変りかた?![#「?!」は一字]
 丁度このとき、おおきな伸びをしながらカークが降りてきた。すると、ヤンはいきなりマヌエラを突きはなし、手をふりながら向うの扉から消えてしまった。座間は、この世界がまっ暗になったような気持で、ただその場に茫然《ぼうぜん》と立ち竦《すく》んでいた。
 と、ヤンの姿が消えたと思ったとき、またも座間をあっと言わせるようなことが起った。
 それは、清浄|無垢《むく》なマヌエラとも思われない……、また淑女たらずとも普通の町家の女でも、よもや口にはしまいと思われるような醜猥《しゅうわい》な事柄を、まるでじぶん自身に言いきかすかのように、マヌエラがべらべらと喋《しゃべ》りはじめたからだ。
 マヌエラ! 断じて幽霊ではない、真実のマヌエラだ。昼間の、灼かれようとも挫《くじ》けない人道主義《ヒューマニズム》の天使が、夜は、想像もされない別貌をしてあらわれたのだ。どっちだ? どっちが本当のマヌエラかと、座間は白痴のように頭を振り振り廊下へでていった。
 と出会いがしらに、ドドの手を引いてカークがやってきた。
「君、馴育《じゅんいく》掛りのお嬢さんへようくいわなきァ駄目だぜ。鍵を忘れたもんだから勝手にでちまって、それに、此奴《こいつ》までがえらく亢奮《こうふん》している」
「どこにいたんだ?」
「患者面会人室の廊下の羽目際だ。なにか、こいつが亢奮《こうふん》するようなことがあったらしい」
 なるほど、これまでのドドには決してみられなかった、一種異様な激情のさまを呈している。犬歯を歯齦《はぐき》まで鉤《かぎ》のようにむきだして、瞳は充血で金色にひかっている。そして、ひくい唸り声を絶《き》れ絶《ぎ》れにたてながら、今にもかくれた野性がむんずと起きそうな、カークでさえハッと手をひくような有様だった。
 それからドドをいれて扉に鍵をおろすと、座間はカークを促《うな》がしながら戸外へ出ていった。やがて本土とのあいだが二町ばかりにせまっている、有名なマラガシュの入江に出た。
 湯のような雨……くらい潮が……ぽうっと燐光にひかる波頭をよせてくる。そして砂上の、ひいたあとは星月夜の
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