瓦斯《ガス》が発生して、艇長を除く以外の乗組員は、ことごとくその場で斃《たお》れてしまいました。
 そうして五人の生存者には、その時から悲惨な海底牢獄の生活が始まって、刻々と、死に向い暗黒にむかって歩みはじめたのです。
 しかし、万が一の希望を繋いでいたとはいえ、あの夢魔のように襲いかかってくる自殺したい衝動と、どんなに……闘うのが困難だったことか。ところが、その日の夜半、突然艇長の急死が吾々《われわれ》を驚かしたのです。
 艇長は士官室の寝台の上で、左手をダラリと垂れたまま、脈も失せ氷のように冷たくなって横たわっておりました。それは、明白な自然の死でした。誓ってそうであったことだけは、かたく断言いたします。
 なぜでしょうか……それにはまず、吾々は艇長に対し寸毫《すんごう》の敵意さえもなかったことが云われます。それに吾々は、万が一の幸運の際のことも考えねばなりません。そうなった時、なんで艇長の指図なくして吾々の手が、迷路のような装置を操り脱出できましょうや。
 ところが、続いて驚くべきことが起ったのです[#「続いて驚くべきことが起ったのです」に傍点]。それはその後[#「それはその後」に傍点]、四時間ほど経つか経たぬかの間にあろうことか[#「四時間ほど経つか経たぬかの間にあろうことか」に傍点]、艇長の死体が烟のように消え失せてしまったのです[#「艇長の死体が烟のように消え失せてしまったのです」に傍点]。
 もちろん蘇生して閉鎖扉を開けて機関室に入ったとすれば、吾々もともどもクローリン瓦斯《ガス》で斃《たお》れねばなりませんし……たとえ発射管から脱出するにしても、肝心の圧搾空気で操作するものが吾々無能の、四人をさておいて外に誰がありましょう。
 また、夜中の脱出は凍死の危険があり、すこぶる無謀であるのは自明の理であるし、現にその救命具も引揚げ後調べると、数が員数どおり揃っていたのです。
 ですから私たちは、ただただ怖ろしい現実に唖然となって、ことにああしたおりでも何かしら、悪夢のような不思議な力に握り竦《すく》められている気がいたしてなりませんでした。
 ああ艇長の死体を艇から引き出したのは、かねて伝説に聴く海魔《ボレアス》の仕業《しわざ》でしょうか、それともまた、文字どおりの奇蹟だったのでしょうか。
 いずれにしても、艇長の死と死体の消失が厳然たる事実であることは、その後に艇を引き揚げた、日本海軍の記録的に明記するところなのです」
 風はなぎ、暁は去って、朝|靄《もや》も切れはじめた。犬射は、感慨ぶかげな口調を、明けきった海に投げつづける。
「艇内は、その前後に蓄電の量が尽きてしまい、吾々が何より心理的に懼《おそ》れていた、あの怖《おそ》ろしい暗黒が始まったのです。すると、それから二時間ばかりたつとがたりと艇体が揺れ、それなり何処へやら、動いて行くような気配が感ぜられました。
 そうしてわれわれは奇蹟的にも救われたのですが……もともと沈没の原因は、艇の舳を蟹網に突き入れたからで、もちろん引揚げと同時に、水面へ浮び出たことは云うまでもないのであります。
 ところが、その暗黒のさなかに、四人がとんでもない過失をおかしてしまったのです。
 と云うのは、寒さに耐えられず嚥《の》んだ酒精《アルコール》というのが木精《メチール》まじりだったのですから、せっかく引き揚げられたにもかかわらずあの暗黒を最後に、吾々は光の恵みから永遠に遠ざけられてしまったのでした。
 あの燃え上がるような歓喜は、艙蓋《ハッチ》が開かれると同時に、跡方もなく砕け散ってしまいました。もともと自分から招いた過失であるとはいえ、私たちは第二の人生を、光の褪せた晦冥《わだつみ》の中から踏み出さねばならなくなったのです。
 こうして『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』は泛《うか》び、同時に、吾々に関する部分だけは終りを告げるのですが、一方『鷹の城』自身は、それからもなおも数奇を極めた変転を繰り返してゆきました。と云うのは、引揚げ後内火艇に繋がれて航行の途中、今度は宗谷海峡で、引網の切断が因《もと》から沈没してしまったのです。
 そして、三度《みたび》水面に浮んだのは御承知のとおり、夫人の懇請で試みた、船長八住の引揚げ作業でした。
 しかし、上述した二回の椿事によって『鷹の城』の悪運が、すでに尽きたことは疑うべくもありません。
 ただ願わくば、過ぎし悪夢の回想が、のちの怖れを拭い、船長の新しい事業に幸あらんことを。そうして、故フォン・エッセン男爵の霊の上に、安らかな眠りあらんことを……」

      三、濃緑の海底へ

 艇長フォン・エッセン男の死体が消失した、しかも蒼海《あおうみ》の底で、密閉した装甲の中で――この千古の疑惑は、再び新しい魅力を具えて一同のうえにひろがった。
 朝風の和やかな気動が、復六の縮毛《ちぢれげ》をなぶるように揺すっていたが、彼は思案げに手を揉《も》み合せるのみで、再びあの微笑が頬に泛《うか》んではこなかった。
 そうして、犬射復六が座に戻ると、今度は一人の老人が、道者杖《しるべづえ》をついて向うの列から抜け出てきた。
 その老人は、もちろん追放された復辟《ふくへき》派の一人で、長い立派な髯に、黄色い大きな禿頭をした男だったが、その口からは、艇長死体の消失をさらに紛糾させ、百花千|瓣《べん》の謎と化してしまうような事実が吐かれていった。
「儂《わし》は、王立《ロイヤル》カリンティアン快走艇《ヨット》倶楽部《くらぶ》員の一人として、かつてフォン・エッセン男爵に面接の栄を得たものでありますが、儂ですらも、これまではさまざまな浮説に惑わされ、艇長の死を容易に信ずることができなかったのでした。
 それが、今や雲散霧消したことは、なにより墺太利《オーストリヤ》海軍建設以来最初の英雄であるところの、フォン・エッセン閣下のため祝福さるべきであろうと信じます。
 けれども、『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』そのものは、きわめて初期の沿岸艇でありまして、おそらく艇長のような、鬼神に等しい魔力を具えた人物でない限りは、それによって、大洋を横行するなどは絶対不可能に違いないのです。だが儂は、あのおり『鷹の城』の脱出を耳にしたとき、ふと暗い迷信的な考えに圧せられました。
 と云うのは、元来あの艇は、ゲルマニア型として墺太利帝国最初の潜航艇だったのですが、その中膨れのした船体を御覧になって、これはキムブルガーの唇([#ここから割り注]ハプスブルグ家代々の唇の特徴[#ここで割り注終わり])じゃ――と陛下《へいか》が愛《め》でられたほどに由緒あるもの――それが沿岸警備にもつかず、塗料の剥げた船体を軍港の片隅に曝《さ》らしていたのは何が故でしょうか。
 それは、シュテッヘ大尉の消失――そのトリエステ軍港の神秘が、そもそもの原因だったのです。
 一九一四年開戦瞬前に起って、さしも剛毅《ごうき》な海兵どもを慄《ふる》え上がらせたというその不思議な出来事は、いま耳にした艇長屍体の消失と、生死こそ異なれ、まったく軌道を一つにしているではありませんか。
 夫人は御承知でしょうが、シュテッヘ大尉は、フォン・エッセン閣下の莫逆《ばくぎゃく》の友でありまして、同じ快走艇《ヨット》倶楽部でも、シーワナカの支部に属しておりました。
 ところが、決闘の結果同僚の一人を傷つけて、査問されようとするところを、艇長がUR―4号の奥深くに匿《かく》したのです。
 ところが、ヴェネチア湾を潜航中不思議な事に、シュテッヘ大尉は忽然と消え失せてしまいました。
 その際は、傷ついた足首を一面に繃帯して、跛《びっこ》を引いていたそうですが、それもやはり、士官室の寝台から不意に姿が消えてしまったのです。それ以後UR―4号には、妙に妄想じみた空気が濃くなってきて、まさに不祥事続出という惨状だったのでした。
 そうすると、やれシュテッヘ大尉の姿を、目撃した――などという者も出てくる始末。しまいには全員が、転乗願いに連署するという事態にまでなったのですから、もはや当局としても捨ててはおけず、ついにUR―4号を鑑籍から除いてしまったのでした。
 UR―4号の悪霊《ベーゼルガイスト》――そのように、おぞましい迷信的な力はとうてい考えられないにしても、その二つの事件は、偶然にはけっして符合するものでないと考えております。
 儂《わし》はそれを、いかにも明白な、絶対的な事実として感じているのです。
 そして[#「そして」に傍点]、もしやしたら[#「もしやしたら」に傍点]、シュテッヘ大尉が[#「シュテッヘ大尉が」に傍点]、そのときもまだ不思議な生存を続けていて[#「そのときもまだ不思議な生存を続けていて」に傍点]、友に最後の友情をはなむけたのではないか[#「友に最後の友情をはなむけたのではないか」に傍点]。つまり[#「つまり」に傍点]、艇長の遺骸を[#「艇長の遺骸を」に傍点]、海の武人らしく[#「海の武人らしく」に傍点]、母なる海底に送ったのではないか[#「母なる海底に送ったのではないか」に傍点]――というような、妄想めいた観念がおりふし泛《うか》び上がってきて、儂を夢の間にも揺すり苦しめるのでした」
 老人はそこで言葉をきり、吐息を悩ましげに洩らした。しかし、そのシュテッヘ大尉事件の怖ろしさは、艇長消失の可能性をも裏づけて、妙に血が凍り肉の硬ばるような空気をつくってしまった。
 続いて老人は、現在|維納《ウイン》において艇長生存説を猛烈に煽り立てているところの、不可思議な囚人のことを口にした。
「しかし、一方共和国は、ハプスブルグ家の英雄を巧みに利用して、今や復辟運動は、それがためにまったく望みないものと化してしまったのです。
 と云うのは、かつて国民讃仰の的だったフォン・エッセン男を、忌むべき逃亡者としたばかりではなく、かたわら一つの人形を作って、それとなく艇長の生存説を流布しはじめたのでした。
 それが今日、維納《ウイン》の噂に高い鉄仮面で、フォールスタッフの道化面を冠った一人の男が、郊外ヘルマンスコーゲル丘のハプスブルグ望楼に幽閉されていると云うのです。
 そうなって、重大な国家的犯罪者らしいものと云えば、まず艇長をさておき外にはないのですから、その陋策がまんまと図星を射抜きました。そして、情けないことに墺太利《オーストリヤ》国民は、付和雷同の心理をうかうかと掴み上げられてしまったのです。
 で、聴くところによると、その男の幽閉は一九一八年から始まっていて、最初はグラーツの市街を、身体中に薔薇と蔦《つた》とを纏《まと》い、まるで痴呆か乞食としか思われぬ、異様な風体で徘徊《はいかい》していたというそうなのです。
 しかし、すでに海底深く埋もれているはずの艇長が、どうして、故国に姿を現わし得ましょうや。
 まさに左様、艇長フォン・エッセン男爵の墓は、東経一六〇度二分北緯五十二度六分――そこに、いまも眠りつづけているのです。
 そうして、ハプスブルグ家の王系は、彼の死とともに絶えたのですが、それを再び、栄光のうちに蘇《よみがえ》らせようとしても何事もなし得ず、今や戦史と系譜の覇者は、二つながらに埋もれゆこうとしているのです」
 老人の悲痛な言葉が最後で追憶が終り、夫人は海に花環を投げた。
 そして、一同は打ち連れ立って、岬を陸の方に歩みはじめたのであるが、艇長フォン・エッセンの死に対する疑惑は、いまやまったく錯綜たるものに化してしまった。
 一同は、奇怪な恐怖に駆られて、夢の中をさ迷い歩くような惑乱を感じていたのである。わけても、その得体の知れない蠢動《しゅんどう》のようなものは、四人の盲人に、はっきりと認められた。
 その四人は、一人として口を開くものがなく、互いに取り合った手が微かに顫《ふる》え、なにか感動の極限に達しているのではないかと思われた。彼らは明らかに、これから乗り込もうとする「|鷹の城《ハビヒツブルグ》」に恐怖を感じているのだ。
 ところが、当の「鷹の城」は、その時岩壁を縫い、岬の尻の入江の中で、静かに揺れてい
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