ような瞳があった。
 両端が鋭く切れすぎた唇は、隙間なくきりりと締っていて、やや顎骨が尖っているところといい、全体としては、なにかしら冷たい――それが酷《むご》いほどの理性であるような印象をうけるけれども、また一面には、氷河のような清冽な美しさもあって、なにか心の中に、人知れぬ熾烈《しれつ》な、狂的な情熱でも秘めているような気もして、おりよくその願望が発現するときには、たちまちその氷の肉体からは、五彩の陽炎《かげろう》が放たれ、その刹那、清高な詩の雰囲気がふりまかれそうな観も否めないのだった。
 しかし、ウルリーケのすらっとした喪服姿が、おりからの潮風に煽られて、髪も裾も、たてがみのように靡《なび》いているところは、どうして、戦女《ワルキューレ》とでも云いたげな雄々《ゆゆ》しさであった。
 空は水平線の上に、幾筋かの土堤《どて》のような雲を並べ、そのあたりに、色が戯れるかのごとく変化していった。彼女はしばらく黙祷を凝《こ》らしていたが、やがて、波間に沈んだ声を投げた。
 その言葉はかずかずの謎を包んで神秘の影を投げ、しばらくはこの岬が、白い大きな妖しげな眼の凝視の下にあるかのようであった。
「いつかの日、私はテオバルト・フォン・エッセンという一人の男を知っておりました。その男は、墺太利《オーストリヤ》海軍の守護神、マリア・テレジヤ騎士団の精華と謳《うた》われたのですが、また海そのものでもあったのですわ。
 ああ貴方! あの日に、貴方という竪琴の絃《いと》が切れてからというものは……それからというもの……私は破壊され荒され尽して、ただ残滓《かす》と涙ばっかりになった空虚《うつろ》な身体を、いま何処で過ごしているとお思いになりまして。
 私は、貴方との永くもなかった生活を、この上もない栄誉《はえ》と信じておりますの。だって貴方は、怖《おそ》れを知らぬ武人――その方にこよなく愛されて、それに貴方は、墺太利全国民の偶像だったのですものね。
 ところが、あの日になって、貴方は急に海から招かれてしまったのです。
 というのも、貴方が絶えずお慨《なげ》きになっていたように、なるほど軍司令部の消極政策も、おそらく原因の一つだったにはちがいないでしょうが、もともといえば、貴方お一人のため――その一人の潜航艇戦術が伊太利《イタリー》海軍に手も足も出させなかったからです。
 ねえ、そうでございましたでしょう。あれまでは、トリエステの湾はおろか、アドリヤチックの海の何処にだっても、砲弾《たま》の殻一つ落ちなかったのではございませんか。その安逸が――いいえ蟄居《ちっきょ》とでも申しましょうか。それが、貴方に海の憬れを駆り立て、硝烟《しょうえん》の誘いに耐えきれなくさせて、秘かにUR《ウー・エル》―4号の改装を始めたのでしたわね」
 一九一五年五月、参戦と同時に、伊太利は海上封鎖を宣言した。
 もともと、両者の海軍力は、戦艦九対十四、装甲巡洋艦九対二の比率で、伊太利側が一倍半の優勢を持していたのである。そこへ、英仏地中海艦隊の援助によって、墺太利《オーストリヤ》沿岸封鎖が行われたのである。
 ポーラ鎮守府をはじめに、トリエスト、セベニコ、カッタロ、テオド、ザラ等の各軍港が、ほとんど抵抗もうけず、完全に封鎖されてしまった。そうして、海上貿易の遮断をうけるとともに、墺太利は、各艦隊の連絡策戦が不可能になってしまったのである。
 当時、伊太利側の策戦としては、まず、トリエスト、フューメのような無防禦港を破壊する。そうして精神的打撃を与えしかるのちに、海軍要塞を占拠して陸兵を上陸せしめようとしたのであった。それがために、敵艦隊の集中するカッタロ湾に主力を向け、まさにアルバニアのヴァロナを出港せんばかりの気配にあった。
 しかし、墺太利《オーストリヤ》側としてもなんとかして、ヴェネチア、ラヴェンナ、アンコナ、タラント等に、勢力を置いている敵の封鎖を打ち破らねばならなかった。そうして、もし巧みに封鎖を脱することができれば、ヴェネチア、アンコナの両港を襲撃できるばかりではなく、ブリンデッシ、バリーなど無防禦港も、砲火の危険に曝《さら》されねばならない。さらに、一段|進捗《しんちょく》して、オトラント海峡の封鎖をみれば、もはや伊太利《イタリー》艦隊は完全な苦戦である。
 この二つの策戦は、当時万目の見るところだったのである。そうしていつかは、アドリアチック海の奥に、砲声を聴くであろう。トリエスト、ヴェネチアを結ぶ線上に砲火が散り、そこが両軍の死線となるであろう。と、戦機のせまる異常な圧迫感が、日々に刻々とたかまっていったのである。
 しかし、墺海軍は依然として、退嬰《たいえい》そのもののごとく自港の奥に潜んでいた。三隻単位を捨てて、五隻単位主義を採択したほどの墺海軍が、また何故に、損害の軽微な潜航艇戦にも出なかったのであろうか。それには、陸上トレンチノ線の、快勝が原因だったのである。
 伊太利陸軍は、参戦以来、主力をイゾンゾに注いで、大規模な攻撃を開始した。しかし、費やした肉弾と、砲弾の量にもかかわらず、わずかイゾンゾ河の下流で国境を越えたにすぎなかった。そこへ、対セルビアの戦闘が終結したのである。
 墺軍は、俄然そこで攻勢に転じた。まず、イゾンゾ方面に、兵力集結の偽装をおこない、そうして、伊軍の注意を、その方面に牽《ひ》きつけておいて、その間《かん》に、こっそり攻勢の準備を整えていた。
 露墺戦線よりの三個師団、イゾンゾ方面より四個師団、バルカン方面より三個師団、さらに、国内で編成した混成三個旅団を、それまでのケーブエス、ダンクル軍に合わせたのである。そして、オイゲン大公指揮の下に、伊軍陣地を突破して、ヴェネチア平原に進入しようと企てたのであった。
 四月二日払暁、ロヴェレット南方より、スガナ渓谷《けいこく》にいたる、トレンチノ全線の砲兵が、約二千門といわれる砲列の火蓋を切った……。それが伊墺戦線最大の殺戮《さつりく》なのであった。モリ南方高地からかけて、ズグナ・トルタ山、マッギオ山、カムポ山、アルメンテラ山を経て、コロー山にわたる伊軍第一陣地は、夕刻までに大半破壊されてしまった。
 その頃には、南方チロール地区隊、ギヴディカリー部隊を先頭に、歩兵が行動を開始した。ケーブエス軍は、一部をアディジェ河谷に、主力をアスチコ河谷に向けて、アルシェロ市を目標とした。また、ダンクル軍は、一部をスガナ河谷に、主力をチエッテ・コムニ高原に向け、これはアジアゴ市を目標とした。
 そして、猛烈な火砲戦に、算を乱し、潰走する伊軍を追うて、まもなく、その両市を占領することができた。
 が、墺太利《オーストリヤ》海軍にとると、この大勝禍いなるかなであった。おそらく、両国の勝敗が、陸戦で決せられるものと見込んだのであろう、いつのまにやら、燃えていた必戦の意気が消えてしまった。しかしその後は、戦線にも格別の変化がなく、ただ伊軍は、じりじりと墺軍を押し戻していった。
 それが、決戦派の首領、男爵フォン・エッセンには耐《たま》らなかったのである。彼は、機さえあれば怒号して、軍主脳部に潜航艇戦をせまったのであった。
 ――わが国は、かつて統一戦争の当時、伊太利《イタリー》軍を破ったことがあった。その後も、一八六六年にはクリストッツァの戦いで勝ち、海軍もまた、リッサ島の海戦と伊太利艦隊を破った! しかも、今次の大戦においても、どうであろうか。じつに、わが国は伊太利軍には一度も敗れたことはないのである。その歴史的信念を忘れ、決戦に怯気《おじけ》だった、軍主脳部こそは千|叱《だ》の鞭《むち》をうけねばならぬ。
 この、マリア・テレジヤ騎士団の集会でおこなった演説を最後に、フォン・エッセンは二度と怒号しようとはしなかった。そして、秘かに、UR《ウー・エル》―4号の改装をはじめたのである。
 こうした経緯《いきさつ》が、言葉を待つまでもなく、七人の復辟《ふくへき》派には次々と泛《うか》んでいった。まるで、ウルリーケの一言が礫《つぶて》のように、追憶の、巻き拡がる波紋のようなものがあったのである。
「そうして、UR《ウー・エル》―4号の改装が終りますと、次に私を待っていたのが、悲しい船出でございました。私はあの前夜に慌《あわただ》しい別れを聴かせられたとき、その時は別離の悲しみよりか、かえって、あの美しい幻に魅せられてしまいましたわ。
 あの蒼い広々とした自由の海、その上で結ぶ武人の浪漫主義《ロマンチシズム》の夢――。まあ貴方は、艇《ふね》を三|檣《しょう》の快走艇《ヨット》にお仕立てになって……、しかもそれには、『|鷹の城《ハビヒツブルク》』という古風な名前をおつけになったではございませんか。
 ああそれは、王立《ロイヤル》カリンティアン快走艇《ヨット》倶楽部《くらぶ》員としての、面目だったのでしょうか。いいえいいえ、私はけっしてそうとは信じません。
 きっと貴方は、最後の悲劇を詩の光輪で飾りたかったに違いありませんわ。そして、しめやかな通夜を他目《よそめ》に見て――俺は、生活と夢を一致させるために死んだのだ――とおっしゃりたかったに相違ありませんわ。
 そうして、その翌朝一九一六年四月十一日に、その日新しく生れ変った潜航艇『|鷹の城《ハビヒツブルク》』は、朝まだきの闇を潜《くぐ》り、トリエステをとうとう脱け出してしまったのでした。あの時すぐに始まった朝やけが、ちょうどこのようでございましたわねえ」
 その時、水平線がみるみる脹《ふく》れ上がって、美《うるわ》しい暁《あけぼの》の息吹が始まった。波は金色《こんじき》のうねりを立てて散光を彼女の顔に反射した。
 ウルリーケは爽やかな大気を大きく吸い込んだが、おそらく彼女の眼には、その燦《きらびや》かな光が錫色をした墓のように映じたことであろう。
「ところが、そのとき積み込んだ四つの魚雷からは、どうしたことか、功績《いさお》の証《あかし》が消え去ってしまったのです。
 その月の十九日タラント軍港を襲撃しての、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』号の撃沈も、年を越えた五月二十六日コマンドルスキイ沖の合衆国巡洋艦『提督《アドミラル》デイウェイ』との戦闘も、このとおり艇内日誌にはちゃんと記されておりますが、その公表には、どうしたことか時日も違い、各自自爆のように記されてあるのです。
 それがドナウ聯邦派の利用するところとなって、ハプスブルグ家の光栄《はえ》を、貴方一人の影で覆い、卑怯者、逃亡者、反逆者と、ありとあらゆる汚名を着せられて、今度は共和国を守る、心にもない楯に変えられてしまったのです。
 それにつれて、同じ運命が私にも巡ってまいりました。
 わけても、貴方の生存説が、どこからともなく伝わってまいりましたおりのこととて、私たちの家には毎夜のように石が投げられ、むろん貴方のお墓などは、夢にも及ばなくなったのです。
 ところへ、貴方が拿捕《だほ》された『室戸丸』の船長から――それが現在私の夫ではございますが、貴方の遺品《かたみ》を贈るという旨を申しでてまいりました。それがそもそも、いまの生活に入る原因となったのでしたけど、私の悲運は、いまなお十七年後の今日になっても尽きようとはいたしません。
 せっかく貴方の墓と思い、引き揚げた『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』も、ついには私たちの生計の糧《かて》として用いねばならなくなりました。
 私たちはこの上、安逸な生活を続けることが不可能になったのでございます。それで八住は、船底を改装して硝子《ガラス》張にしたのを、いよいよ海底の遊覧船に仕立てることにいたしました。
 そうして再び、貴方のお船『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』は動くことになりましたけど、私にとれば、貴方のお墓を作る機会が、これで永遠に失われてしまったことになります。
 ですけど、貴方の幻だけはかたく胸に抱きしめて――あの気高くも運命《さだめ》はかなき海賊《コルサール》、いいえ、男爵海軍少佐テオバルト・フォン・エッセンは、死にさえも打ち捷《か》って、このような
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